「孝介が来れなくて、僕が入った。で、松坂のときのドラフトで、孝介が入ってくるわけじゃないですか。松坂は、僕と同じ誕生日でしょ。なんか、いろいろと、不思議な感じがしましたね。縁があったりするのかなと」

 同じ「9月13日生まれ」の松坂とは、交流戦や日本シリーズでの対決はあった。その剛球やマウンドさばきに「後ろで守ってみたいと思ったピッチャーだったよね」と荒木はいう。第1回、第2回のWBC、2000年シドニー、2004年アテネの五輪で「日本のエース」だった松坂だが、そのとき、荒木は日本代表に選出されていない。ところが2008年、北京五輪の日本代表に荒木が選出されたとき、メジャーで活躍中だった松坂は選ばれていない。

 どこか、すれ違い。

「日本代表でも違う時期だったからね。だから中日で初めて松坂と一緒になったんですよ」

 復活をかけて、新天地を選んだ「9月13日生まれ」の後輩を、二塁のポジションから見ることができたのは、3月14日のオープン戦、西武との一戦(ナゴヤドーム)だった。

「やっぱり、スターですよね。後ろや横から見ることが多いんだけど、他のピッチャーとは、やっぱり違うな、と思うことが多いですね」

 その“気づき”を、説明してもらった。

「二塁、得点圏にランナーが行ったときですよね。そこでのスイッチの入り方というのかな。点はやらないぞと、そういうのが全然違いますよね。見ていて『そこで間を外すのか』とか、思ったりしますもん」

 同じ世代で戦ってきたからこそ、全盛期の剛球と比べて、今の状態が“どの程度”なのかは、荒木には一目瞭然だ。2度の手術、ソフトバンクでの3年間で1軍登板1試合のみ。そうした状態からはい上がってきた松坂は今季、9月12日現在で5勝をマーク。勝負どころでの集中力。試合の中でのピッチングの強弱。打者との駆け引き。そうした1つ1つの局面に、荒木は「松坂の凄さ」を見るのだという。

「そうでなきゃ、5つも勝てないもん。いろいろあったのに、たいしたもんだと思いますよ」

 その松坂の、今季11度目となる先発は9月13日、38歳のバースデーとなるその日に、甲子園のマウンドに立つのだ。西武時代の2006年6月9日、1失点での完投勝利を挙げ、阪神・ダーウィンから左中間へ「プロ初本塁打」をマークして以来、約12年ぶりの“聖地凱旋”。20年前、甲子園で数々の伝説を築いた松坂が、甲子園で誕生日を迎えるのだ。

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“バースデーマウンド”の成績は…