中日・荒木雅博(左)と松坂大輔 (c)朝日新聞社
中日・荒木雅博(左)と松坂大輔 (c)朝日新聞社

 それこそ、単なる偶然の一致に過ぎない事実なのだが、見ている側としては、どうしても何かしら、その“奇なる縁”のようなところに、話を結びつけたくなってしまう。自戒を込めていえば、報じる側の悪いクセ? ともいえるのだが、ここはやっぱり聞いておきたい。「野球とは関係ない、つまらないことかもしれんけど」と前置きした上で、練習中のベテランを呼び止めてみた。

「誕生日、一緒なん?」「そう。気づいた?」

 おどけたような口調で、そう答えてくれたのは、中日・荒木雅博だった。昨季、通算2千安打を達成した、ドラゴンズ一筋23年のレジェンド的存在。40歳の大台に突入した今も、試合前の練習では二塁のポジションでノックを受け、バント用の打撃マシンの前に立って、絶妙のコースにバントを転がす。二塁のレギュラーに、24歳の若手・高橋周平が台頭した今季、出場機会が減ってはいるが、堅実な職人技は健在だ。

 その“竜のレジェンド”の誕生日は「9月13日」。実はバースデーが、今季からのチームメート・松坂大輔と同じ。「畠山も同じなんですよ」。畠山? 慌てて選手名鑑のページをめくってみると、2015年には打点王を獲得したヤクルト・畠山和洋も「9月13日」が誕生日だった。1977年生まれの荒木、1980年生まれの松坂、1982年生まれの畠山がそろって「なかなかの顔ぶれでしょ」と荒木。やはり、同じ日生まれというのは、気になる存在なのだ。

 その荒木と松坂、3年違いの2人には、ある選手の存在を介しての“つながり”があった。1995年のドラフト会議。その年の目玉は、PL学園高・福留孝介。7球団が競合の末、近鉄が交渉権を獲得。巨人と中日を希望球団に挙げていた福留は、入団を拒否して社会人の日本生命に進んだ。

 福留の抽選に敗れた中日は、外れ1位に東海大相模高の捕手・原俊介を指名。ところが原も巨人と競合し、2分の1の抽選でも外れてしまう。3度目の正直、中日の“外れ外れのドラフト1位”が本工・荒木雅博。名誉ある1位指名なのに、妙な“冠”がつきまとう野球人生のスタートとなった荒木だったが、そこから、2千安打を打つ名選手になったのだから、その努力は相当なものだ。

 その3年後。1998年に出現した大スターが、その年の甲子園で春夏制覇を果たした平成の怪物、横浜・松坂大輔。その年のドラフトは逆指名制度で、大学生と社会人に関しては、上位2枠を選手からの希望球団の逆指名によって獲得できる。中日は、福留とNTT東海の左腕・岩瀬仁紀の逆指名を取り付けた。荒木にとって、福留は同級生。福留を獲れなかったから荒木が中日に入り、その3年後に福留がやって来た。2人とも名球会入りを果たし、2006年にリーグV、2007年に日本一に輝いた際には、中日の押しも押されもせぬ主力。見方を少し変えれば、その“3年のズレ”があったからこそ、中日に荒木と福留の2人がいたわけで、そのお陰で黄金期を築けたともいえるのだ。

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「中日で初めて松坂と一緒になったんですよ」