「まずは家を買いました。アフリカに行く前に一軒家に住んでいたのですが、そこの大家さんに街でばったり会って……。当時アパート暮らしだったので、これでは親は呼べないと思っていましたから、その家のことを聞くと、『それなら安く売るよ』と言ってくださって。本当にありがたい話でした。住み慣れた勝手知ったる家だったのも助かりました」

 そして、お父さんが暮らしやすいようにと、床をバリアフリーにしたり、手すりを付けたりして、自分でリフォームもした。

「こんなこと言っていいのかわかりませんが、病気で亡くなった彼女のことで悲しみから立ち直れないでいましたが、両親を呼び寄せて面倒を見たいと、生きる目標のようなものが生まれたのも事実です」

■消えていく父との確執、そして悲しみも

「準備は整って、両親を早く呼び寄せたかったのですが、父がなかなか『うん』と言ってくれませんでした。いよいよどうしようもなくなったら行くからと。おふくろが倒れてから、3年。月に1回くらいは帰省していましたが、帰っても父とはケンカばかり。母は入院し、家には父が一人。そのため家は荒れ放題。もう、放っておけない状況でした」

 お母さんは東京出身で、つくば市の隣の土浦市にも疎開経験があったという。「いつか関東に戻りたい」と言っていたお母さんを先に説得すると、「お母さんが戻るなら、俺も考えなあかんな」と、お父さんが納得してくれたそうです。

「いつでも面会、介護に行けるように、母には家の近くの施設に入院してもらい、父との男二人暮らしが始まりました。一緒に暮らすようになると、父との確執はウソのようになくなり、料理を作れば、『ありがとう』と言ってくれる。何か言われたら言い返してやろう、くらいに思っていたのに、拍子抜けで(苦笑)。母は父と私の同居を心配していましたが、仲良くしているとわかって、本当に安心したようです」

 そして、この穏やかな日々が、結婚を決めていた女性を失った悲しみからも少しずつ解放してくれた。(取材・文/時政美由紀)

時政美由紀(ときまさみゆき)
(株)マッチボックス代表。出版社勤務後、フリー編集者に。暮らし、食、健康などの実用書の企画、編集を多数手がけている