――蛭子さんといえば競艇やパチンコなどのギャンブル好きとして知られていますが、麻雀と出会ったのはいつ頃ですか?

 実ははよく覚えていないんです。パチンコとの出会いは子どものころ。まだ大人のように遊べないから自作の台をつくっていました。斜めにした“スマートボール形式”の台なんですが、10台くらいは作ったかな。それを近所の子どもたちにもやらせていました。それに比べると、麻雀はずいぶん遅かったと思います。テレビに出始めたのが39歳だから、初めての麻雀は40歳を過ぎてから。それまでは漫画の仕事が忙しくて、麻雀をやる暇なんてなかった。

――なぜ麻雀をやろうと思ったんですか?

 ずっと面白そうだと思っていて、いつかやってみたいという気持ちがありました。街を歩くと、『麻雀』と丸ゴシック体で書かれた雀荘の看板があるじゃないですか。その看板を見て、麻雀ってどんなものなんだろうと興味を持っていたんです。元々、ギャンブルが大好きだったので、競艇の他にもそういうのがあったらいいなと。麻雀でお金を賭けるのは禁止されているけど、心の中では賭けているんだろうなと思っていました。

――ギャンブル的な魅力を感じたということですか?

 そうなんです。それで一人で雀荘に足を運んだのが40過ぎ。一度やったら、どっぷりはまっちゃいました。撮影の合間でも、時間さえあれば雀荘に通っていたんですよ。「THE われめDEポン」(芸能人などが参加するフジテレビ系で放送された麻雀バラエティ番組)にも呼ばれて、5回くらい優勝しました。

――麻雀のルールはどうやって覚えましたか?

 本とかで勉強したわけではなく、遊びながら自分で覚えました。とにかく実戦で学んで、負けても好きになるタイプです。

――蛭子流の麻雀に勝つための「戦略」のようなものはありますか?

 実はあまり戦略がないんです。だからよく負けちゃう(笑)。配牌を見て『これはピンフだな』とか思うだけ。もっと頭を使えばいいんですけどね。相手の手配を考えたり捨て牌を考えたりというのもあまりない。だからあっさり負けてしまうんです。打つのは本当に早いんですけどね。

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20年前“事件”の真相