難治がん記者が身につまされた翁長・前沖縄県知事の妻への言葉 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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難治がん記者が身につまされた翁長・前沖縄県知事の妻への言葉

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

岡田克也副総理(当時)に同行して、普天間飛行場に隣接する普天間第2小学校を訪れた筆者(右から3番目)=2012年3月17日、沖縄県宜野湾市、谷津憲郎撮影

岡田克也副総理(当時)に同行して、普天間飛行場に隣接する普天間第2小学校を訪れた筆者(右から3番目)=2012年3月17日、沖縄県宜野湾市、谷津憲郎撮影

 たとえば地域差だ。

 国立がん研究センターががんによる都道府県別の死亡率を発表している。「75歳未満」「男性」「膵臓がん」でデータを比べると、沖縄と私が長年暮らす東京のいずれも10万人あたり1桁の人数で収まる。大きな差とは思えない。

 また、膵臓がんは、肺がんにおける受動喫煙のようなリスクは耳にしない。

 私が膵臓がんになっても「不平等だ」とか「誰それのせいだ」と、みじんも思わなかったゆえんだ。

 しかし、基地負担はどうだろうか。

 沖縄に基地が集中しているのは、人が決めたからだ。だからこそ、その気になれば、解決の道を探ることができる。できるのに、そもそも目を向けようともしない人たちがいれば怒り、あるいは無力感を募らせる。そして自分や大切な人たちの命を守ろうと行動する気持ちは、受動喫煙対策を求める気持ちと同じように理解できる。

 実はこのコラムを書くにあたり、ショックなことがあった。

 自分で見た基地負担の姿を描こうと、民主党政権時代に普天間を訪れた時の情景を思い出そうとした。騒音によって空気が震え、耳ばかりでなく肌で感じたような記憶がある。だが、ほかのことはまるで覚えていないのだ。そこで暮らす人たちがどんな表情をしていたのか――。現地におもむき、基地の記事を書きながらも、まったくひとごとだったと思い知らされた。

 今は、体調が悪ければちょっとした物音も神経に障る。基地周辺でがん患者が暮らしていたとする。翁長さんが「本当のお父さんじゃない」と表現したような体調の時に爆音にさらされたら、どれだけこたえるか。想像するだけで苦しくなる。

 がんを仲立ちにすることでようやく、基地負担と自分がつながるきっかけが生まれたのかもしれない。

  ◇
「がん末期の日々」を読んで一夜明けた6日朝。職場に向かった配偶者から「白い朝顔咲いてます」とメッセージが届いた。植えてある玄関先に出ようとドアを開けると、青空が目に飛び込んできた。

 静かだ。東は仙台から西は名古屋まで、これまで暮らした10カ所はどこも静かな空が広がっていた。

 普天間の騒音を引き受けるかと聞かれれば、勘弁してほしいと答える。世の大半がそうだろう。その一方で、同じように願いながら、騒音ばかりでなく、ほかの負担まで強いられている人たちがいる。

 二つの空は表と裏だ。考える出発点はいつも頭の上に広がっている。


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野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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