下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(毎月)、「タビノート」(毎月)

ハリム・ペルダナクスマ空港からは昔のアジアの空港のにおいがする。ちょっとだけ
ハリム・ペルダナクスマ空港からは昔のアジアの空港のにおいがする。ちょっとだけ

 さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第58回はジャカルタのハリム・ペルダナクスマ空港から。

【昔のアジアの空港のにおいがちょっとだけする、ハリム・ペルダナクスマ空港】

*  *  *

 アジアの空港のなかで、その名前を聞いて気分が重くなるのは、マニラとジャカルタの空港である。マニラは、ニノイ・アキノ国際空港、ジャカルタはスタルノ・ハッタ国際空港という。

 ともに乗り遅れそうになった経験がある。

 10年以上前だろうか。ニノイ・アキノ国際空港から、当時、マニラと東京を結んでいたノースウエスト航空で帰国しようとした。チェックインタイムに合わせて第1ターミナルに向かった。長い列に並び、空港ターミナル入口でパスポートと航空券を見せた。

「今日からノースウエスト航空は第3ターミナルに移りました」
「はッ?」
「どうやって行くんです?」
「歩いては行かれません。タクシーで」
「はッ?」

 当時のマニラのタクシーは質が悪かった。とくに空港はぼったくりタクシーの巣窟。市内からは良心的なドライバーをみつけて空港まできたのだが……。脇には獲物を待つおじさんドライバーが手ぐすね引いて待っていた。しかし時間がない。第3ターミナルまでタクシーで30分ほどかかった。運賃は市内までの3倍もした。タクシーを降り、チェックインカウンターに向かって走った。

 スカルノ・ハッタ空港で焦ったのは今年の5月。スマランから乗った国内線は第2ターミナルに着いた。そこからバンコク行きのエアアジアが出発するターミナル3へ。乗り継ぎ時間は1時間ほどだった。訊くと、スカイトレインという電車に乗って移動しろという。しかしその電車がなかなかこない。やっと移動してチェックインカウンターに滑り込んだときは搭乗時刻をすぎていた。間に合うから急げ、と尻を叩かれ、搭乗口に向かったが、遠かった。隣の街についてしまうのではないかと思うほどの距離を急いだ。

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下川裕治

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下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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