それは、なんと通算与死球の日本記録。この日まで坂井勝二(大毎‐大洋‐日本ハム)、米田哲也(阪急‐阪神‐近鉄)とともに「143」で並んでいた渡辺は、あと一人にぶつければ歴代トップにその名を刻むことができるのだ。

 4対2と阪神リードで迎えた5回、先発・北別府学に代わって花道登板のマウンドに上がった渡辺は「先頭の平田(勝男)にぶつけて、さっさとマウンドを降りる」つもりだった。

 ところが、阪神の各打者は、渡辺がそんな物騒なことを考えているとは夢にも知らず、現役最後のマウンドに花を添えてあげようと、「クソボールを空振り」(渡辺)。平田は三ゴロ、藤倉一雅も三振に倒れ、あっという間に2死となった。

 困り果てた渡辺が一塁側ベンチを見やると、記録のことを知っている古葉竹識監督は「もう一人行け!」と手で合図した。

 次打者は左打ちの吉竹春樹。「カーブを投げれば、避ける方向にどこまでもついていくはずだ」と考え、緩いカーブを投げると、狙いどおり、吉竹の腹に命中。この瞬間、通算与死球144個の日本記録(当時)が誕生した。

 試合後、「19年間で、わざと人に当てたのは、これが最初で最後です。吉竹君、ごめんなさい」とコメントした渡辺だったが、これはあくまで建前。晩年の広島スカウト時代に「巨人時代はONが当てられると、相手の投手が打席に立ったときに(報復で)当てにいくのが暗黙のルールだったし、ある年、3割8分くらい打たれた高木守道(中日)に翌年の最初の打席でぶつけたら、2割そこそこしか打たれなかった」と秘話を明かしてくれた。

 与死球記録は3年後、東尾修(西武)に抜かれたが、「何とも思わなかったですね。そんな名誉ある記録じゃないしね。達成感と同時にどこか複雑な気持ちでしたから。ただ、東尾は僕の倍くらい(渡辺は2083回、東尾は4086回)投げているから、与死球率でいけば、僕が一番当てていることになるのかな」と苦笑まじりに述懐していた。

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