津波で大変な被害があった東日本大震災ですら、経済はすぐに回復しています。阪神大震災に至っては、わずかな凹みすらありません。ところが金融危機とリーマンショックの場合は、物理的なダメージは何もなかったのにGDPがガクッと下がっている。これこそが日本が成長社会から成熟社会に転じていることの証といえます。

 日本の場合、一人当たり金融資産の順位は1995年からずっと世界で5位以内ですが、かつて世界トップクラスだった一人当たりGDPは大きく順位を下げて、今や30位近くまで落ちています。これは人々がモノを買わずに、お金を貯めることを楽しんでいることを示しています。おかげで経済は成長せず、「日本は負けた」などと言っているのですが、何のことはない、私たち日本人がお金を握りしめたまま使おうとしないだけです。

 現政権になってからこうした状態に対し、「日銀がどんどんお金を発行すれば物価は上がり、景気も回復するのだ」という、いわゆるリフレ派の主張が採用され、日銀は急激に通貨の発行量を増やしました。しかし物価は全然上がらず、実質GDPも上がっていません。

 
 経済政策を決める政治家や官庁には、かつての成功体験に縛られ、「今、景気が悪いのは日本人がダレているからだ。昔のように我慢して一生懸命働けば、経済も回復するのだ」と思っている人が少なくありません。

 成長社会で生産力不足の時代にはそのやり方でよかったわけですが、生産力が余っている成熟社会にはそれではうまくいきません。

 経済の規模を大きくするのは90年代の携帯電話や00年代のスマートフォンのように、これまでとは大きく違う、人々がまだ知らなかった製品やサービスだけです。

 そういう時代に、昔からの生産拡大政策そのままに「我慢」「勤勉」「効率化」などとやっていると、ますます生産力が過剰になって人が余ってしまう。

 成熟社会で経済を良くするには、これまでにない創造的な商品や、新たな生活の楽しみ方を考えなければならないのです。そうしたことを考えるのは、実は我慢してがんばることよりずっと大変です。

 ともあれ、まずは「社会の発展段階により、打ち出すべき経済政策はまったく違うのだ」という事実を認識することから始めなければなりません。