そんな湯川さんがずっと心に留めてきたのが、「今日1日を大切に生きる」という、酒井さんの言葉だ。

 酒井さんの人生もまた壮絶だった。太平洋戦争時に予科練へ志願し、仲間たちが次々と命を落とす中で生きながらえるも、戦後は職を転々とした。その後結婚するが、わずか2カ月で妻が自殺。失意の中でたどり着いたのが比叡山だった。39歳の時に得度。新たな人生を得て、20代の若者たちに交じって叡山学院で学び、72年3月、首席で卒業。死と隣り合わせの荒行、千日回峰行を54歳と60歳で、2度満行。過去、この荒行を2度満行したのは、酒井さんを含め2人しかいない。

「酒井さんのように、千日回峰という苦しい修行をしなくってもね、人には誰しも悩みがあって苦しみもあるじゃない? ある意味、日常は修行のようなものね。でも、毎日を丁寧に、大切に生きていれば、苦しみを抜ける日が必ず来る。酒井さんのお言葉を借りるなら『何も変わらないように見えても、自分自身はいつも新しくなっている』。それは、言い方を変えれば何歳になっても未来があるということでもあります」

 もちろん老いはやってくる。湯川さんも階段で腰を痛めて50年続けた能が舞えなくなったときは非常に悔しい思いをした。しかし、できなくなったことに囚われず「今日の自分にできること」に視線を向けた。

「昔からやりたいと思っていた、習字を始めたんです。先生がとっても素敵な方で、とにかく褒めてくださるの。誰だって褒められると嬉しいじゃない? 年齢を重ねてできなくなることはもちろんあります。でも、人生の中でまだやれていないことのうち、今からでもできることって、結構あるのよ」

 今日できること、今できることに目を向けることで、新しい自分が生まれてくる。そうやって日々を過ごすことで、過去にもつれた人間関係の糸がほぐれていくという。

「私ね、気になることがあったらすぐに電話しちゃうの。電話を切った後でも、『あ、もしかしたら』と思ったらすぐにね。過去のことでも『あのときはごめんねってずっと言えなかった』って、素直に言ってみること。明日お互いどうしてるかなんて、わからないから。今更、なんてことは考えなくていいから、今日の自分に素直になって1日を大切にね」