取材に応じた佐藤和孝さん。「走れるうちは第一線で」と話す (撮影/福井しほ)
取材に応じた佐藤和孝さん。「走れるうちは第一線で」と話す (撮影/福井しほ)

戦渦に生きる人の
「伝えたい」思いを届ける

 自分の仕事はどういう意味があるのか――。時折、そんな悩みにぶつかった。佐藤さんは「(仕事に)強い意味を持たないとモチベーションにならないのか」という議論を山本さんと交わしたこともあるという。

「まずは伝えること。ジャッジするのではなく、事実を世の中に投げかけて、知ってもらうこと。結果的にそれが人助けになればいい。私たちはNGOでも裁判官でもないんだから」(佐藤さん)

 山本さんの取材も危険と隣り合わせだが、現地の人にも取材を受けるリスクがある。顔を出すことで身を危険にさらす可能性もあった。しかし、必死に「伝えよう」とする山本さんに、「顔を隠しては意味がない」と命がけで取材に応じてくれた人もいた。その責任として、「魂の言葉」を伝えなければいけないという思いが、より強まった。街中で笑い合う子どもたちや自転車に乗る少年といった戦地における「日常」にも目を向ける。

「常にドンパチやっているわけじゃない。大切な人を亡くしてもずっと泣き暮らしているわけじゃない。辛くても、笑顔を見せたりする。それは未来に向かうこと。子どもの笑顔こそ未来、と感じ取っていたんじゃないかな」(佐藤さん)

 ジャーナリストとして戦場取材をする一方で、山本さんは教育者として講演なども行っていた。「子どもたちに伝えることがより良い未来をつくる一助になると確信していたんだろうね」と佐藤さん。出身校である都留文科大学で特任教授を務めることも決まっていた。

 佐藤さんと山本さんは、取材をする上である取り決めを交わしていた。

「危険を感じたらすぐ逃げる」

 それこそが取材の鉄則、と。取材が進めば「もっと見たい」という魔力に取り込まれそうにもなる。だが、少しでも危険を感じれば「行かない」と決めていた。

「じゃあ、どうしてあのときそうだったのかと思うよな……」

 と述懐する佐藤さん。さらにこう続ける。

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「畳の上で死のうね」と交わした言葉