1998年夏の甲子園。中田は、松坂が伝説を築いていくその瞬間を、目の当たりにしてきた。「その内容もすごいよね。PL学園の試合は延長17回でしょ。明徳義塾にはサヨナラ勝ち、最後は決勝でノーヒットノーラン。それも、3日連続でしょ。もう、体力も桁外れだね」

 荒木雅博、井端弘和(現巨人コーチ)、森野将彦(現中日コーチ)、川上憲伸、中田賢一(現ソフトバンク)ら、そうそうたる逸材をモノにしてきた辣腕スカウトは、上位2枠を大学生、社会人の逆指名で獲得できる「逆指名ドラフト」だったその年、福留孝介(現阪神)と左腕・岩瀬仁紀からの逆指名をとりつけることを確実にしていた。ドラフト戦略としては、まさにパーフェクトに近い。それでも、甲子園での活躍ぶりとスター性に、球団内部からドラフト直前になって「福留を2位にして、松坂1位はどうだ?」と打診されたという。中田は「無理です」と突っぱねたというが、その評価は「すごかったよ」と笑いながら明かしてくれた。

 その逸材が、巡り巡って、あの夏から20年がたった今、中日へやって来た。あの球速はない。中田が驚いた、あの理想のフォームも見られない。それでも「俗に言う経験、余力もあるよね。粘りというのかな。勝てない人って、諦めるのよ。でも、松坂は勝ち切るでしょ? 今の自分の投球を、調子が悪くても、全うできるからね。それがたいしたもんなんですよ」

 もう一人、松坂のあの夏を見届けたスカウトの一人、小川一夫は現在、ソフトバンクの2軍監督を務めている。小川は、1989年から長きにわたってスカウトを務め、後に杉内俊哉(現巨人)や川崎宗則、馬原孝浩らを獲得。九州はもちろん、全国に張り巡らせた独自の情報網から、育成からWBC日本代表にまで成長した千賀滉大、身長170センチの小柄な捕手を他球団が敬遠する中、育成で獲得し、いまやその強肩でレギュラーとなった甲斐拓也ら、原石ともいえる素材を発掘してきた小川の優れた目は、強いホークスの土台を築いたともいえる。その小川は1998年当時、九州担当のスカウトを務めていた。

「その年、九州の高校生にいい選手が揃っていたんですよ。だから、今年は忙しくなるなあ、と思ってところだったんです」

次のページ
“江川級”の衝撃を与えた松坂