今回の総裁選でも、安倍総理は、石破氏を二度と総裁選に出られないくらいに叩きのめす作戦だという報道が多くみられるのも、多くの記者たちが、そういうことを肌で感じているからではないだろうか。

 岸田文雄政調会長が総裁選出馬を断念したのも、報道を見ていると、安倍総理への恐怖感が一番だというのがよくわかる。この点を石破氏が強く指摘しているのも、やはり、安倍氏の本質をついたものだ。

 ならば、石破氏が総裁選で掲げる政策論や政治姿勢では、「覇道」ではなく、「王道」を歩むことを、抽象論ではなく、具体的に明らかにして、それを対抗軸にしてはどうだろうか。

 例えば、憲法改正については、「数の力で憲法改正を強行することはせず、時間をかけて議論する」「少なくとも各党の改憲案が出そろってから2年以上かけて議論したうえで、国民の多くが賛成しているという確信を得てから改憲の発議を行う」というような提案をすることで、安倍氏の「無理矢理改憲」との対抗軸を作るのはどうだろうか。

 また、安倍氏の覇権的な政治姿勢との対立軸として、「国民との対話」を重視することを掲げ、「人徳をもって国民を説得し、説得できなければ、自らの考え方を改めることもある」と宣言することもあるだろう。

 石破氏と言えば、「ぶれない」政治姿勢を評価する向きも多いが、真に国民目線で考える政治家なら、自らの過ちを認めることもあるという立場をとった方が、国民に安心感を与えることになるのではないか。たとえば、辺野古基地新設問題では、沖縄県民との対話を再度試みることと、その間の埋め立て停止を掲げるといった公約がありうる。

 さらには、原発ゼロを目指すことを宣言することも切り札になるかもしれない。石破氏がそんなことを言うはずがないと思う読者が多いかもしれないが、私は、石破氏は、脱原発論者になる可能性は十分にあると見ている。頑固者のように見えて、合理主義者でもあるというのが、石破氏の側近たちの「石破評」である。数年前までとは異なり、今や、原発に優位性がないことは国際的コンセンサスになっている。私は、石破氏が、これを客観的に認識すれば、原発維持に固執する可能性はむしろ低いのではないかとさえ見ている。

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石破茂氏は王道を進め