「でも、いけると思いました。外野も前進守備で、ヒット1本で二塁から還れるかなとも思いましたし、三塁にいれば、相手の捕手にもプレッシャーがかかる。暴投とかでもサヨナラですから」(水谷)

 だから、セオリーに反して三塁へ走った。グラウンドから見ると、一塁側ベンチの右端。三塁ベースに立った水谷のほぼ正面にいる格好だ。視線の先で、原田がうなずいていた。

 ようやったぞ--。原田には、何かが起こる予感がした。

 カウント3-2。走者三塁。ワンバウンドの可能性がある変化球は怖い。バッテリー心理を読めば「ストレート」。三盗直後の6球目。安井は140キロの直球を引っ張った。

 打球が左翼に落ちる。サヨナラで、通算100勝達成--。

 原田の執念、そして冷静な戦略。それに応えた選手たちの勇気、そして迷いのない全力プレー。そのすべてが凝縮された試合を終えてのヒーローインタビュー。原田は、答えるたびに声を詰まらせ、白のタオルで顔をぬぐった。

「選手たちが……。ホントによくやってくれました……」

 2-2の同点に追いつかれ、さらに1死一、三塁のピンチで、リリーフのマウンドに立った左腕・北村智紀が、強気のピッチングでその後の失点を許さなかった。

「この舞台で……。そんなに気持ちが強くないんですが……。成長が……うれしいです」

 言葉が途切れ、涙があふれ、何度も声が震えた。

 目標を掲げ、それを達成するために、リーダーは何をすべきなのか。ついてこい。やるぞ。もう、その一方通行の指示では、誰もついて来ない時代になった。ならば、どういうやり方で選手たちのモチベーションを上げ、目標に到達させるのか。人が変わればやり方も変わる。

「だからこの夏だけです、壊れるのは」

 原田は笑いながら、そう明かした。1993年8月の就任だから、監督生活は26年目。その不変ともいうべき、指導者としての根底にあるものは「平安への愛情」だ。その愛とプライドを持ち続け、後輩たちと一緒に夢を追い続け、喜びを分かち合うという究極の目標を達成するためには、どんなスタイルにだって“変身”できるのだろう。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。