その夏の甲子園。原田はテレビ局の中継で解説に訪れていた。

「やっぱり、何回出ても、ここはええですわ」

 グラウンドを見つめながら、ふと「残念でしたね」と話しかけてみた。こちらにすれば、他愛もない世間話のつもりだった。しかし、返ってきた原田の言葉に、思わぬ“興味”を引きつけられた。

 龍谷大平安のような名門校でも、そうなのか--。

「春、ベスト4に入ったでしょ? そうしたら、大学の推薦が決まる。新聞や雑誌からもたくさん取材を受けて、いろんな記事も出てくる。周りにも褒められる。そうすると今の高校生って、満足してしまうんですね」

 満ち足りた思いは、もう一踏ん張り、さらに上を目指して、夏を戦う闘志の炎を大きくしてくれない。原田はミーティングで涙ながらに、選手たちに説いたこともあった。

「俺ともう一回、甲子園に行って、100勝をしようや。俺は、お前らと一緒にやりたいんや」

 原田の魂の叫びに、選手たちも感動の涙を流したのだという。しかし、そのモチベーションは、やはり続かない。その年、京都府大会は4回戦敗退に終わった。

 だから、今の若いヤツはダメだ。根性がない。ハングリー精神もない。そう言うのは簡単だが、ただそれは指導者の単なる不満に過ぎず、何の解決策も生まれない。なら、どうすればいいのか。若い世代の心を、どうやって動かすのか。

 原田は自問自答を繰り返した。迎えた甲子園・100回目の夏。どうしても甲子園に出たい。母校・龍谷大平安の「通算100勝」を何としても達成したい。

「100回目の甲子園で100勝」

 原田の気持ちを表現する、実に分かりやすいキャッチーなフレーズは自然にできていた。あとは選手たちにどう浸透させ、どうやる気を出させるのか。

「だから、自分はこの夏、壊れたんです」

 原田は、自分を“変える”ことにしたのだ。

 夏の府大会。選手たちがヒットを打てば、ベンチ前で拍手した。ホームインすればグータッチで迎えた。かつては厳しい表情を一切崩さずに戦況を見つめ、ミスにはベンチ内で怒鳴り上げることも辞さなかった指揮官の、まさしく180度転換。勝利後のミーティングでは「お前たち、最高だぜ!」と原田自身が吠える。かつての原田からは、考えられないシーンでもあった。

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勝利の儀式、その由来は東京ディズニーシー