1982年の日大二対八幡大付は降雨ノーゲーム (c)朝日新聞社
1982年の日大二対八幡大付は降雨ノーゲーム (c)朝日新聞社

 記念すべき第100回全国高校野球選手権記念大会が開幕し、今年もどんなドラマが生まれるか大いに楽しみだが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、夏の選手権大会で起こった“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「雨にまつわる珍エピソード編」だ。

*  *  * 

 負けていた試合を降雨ノーゲームに救われ、再試合で勝利という17年前の奇跡を再現したのが、1982年の日大二。

 大会2日目の第4試合(1回戦)で八幡大付(現九州国際大付)と対戦した日大二は、2対4とリードされていたが、あと1イニングで試合が成立する6回裏1死、雨が激しくなり、ノーゲームとなった。

 初戦敗退のピンチを雨で命拾いした形だが、実は、同校は1965年の1回戦、岡山東商戦でも1対3とリードされていた試合を5回降雨ノーゲームに救われていた。再試合ではセンバツ優勝投手の平松政次(元大洋)を攻略し、4対0で勝利。くしくも当時の高本晴夫監督は、17年後のこの大会も部長としてベンチ入りしていた。「2度も負けるわけがない」の部長の檄にナインは奮い立った。

 そして、3日後の再試合、日大二は初回に4番・倉本秀俊の三塁線を破る二塁打で1点を先制すると、3回にもエンドラン、スクイズと小技でたたみかけて2点を追加。その後は激しい点の取り合いで二転三転し、5対5で迎えた7回、吉田真一の勝ち越しタイムリーやスクイズなどで3点をもぎ取り、試合を決めた。

 降雨ノーゲームになった試合でことごとくバントが失敗したことを反省し、2日間、みっちりバント練習に取り組んだことが、大小織り交ぜた多彩な攻撃につながった。

 終わってみれば、毎回の15安打と7犠打で9得点(9対6)で、「ノーゲームで命拾い→再戦で勝利」の“二高伝説”を見事に再現。ベンチの最前列でメガホン片手にナインを鼓舞しつづけた高本部長も17年ぶりの快挙に満足そうな表情だった。

 日大二とは対照的に雨との相性が悪いのが天理。72年、80年の準決勝では、いずれも雨で試合が30分以上中断するアクシデントに見舞われ、2試合とも逆転負け。勝者となった津久見と横浜は揃って優勝している。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら
次のページ
なぜか、試合成立してしまった試合も…