肝心なのはこれからだ。いったいどんなことが起こりうるのか。

 いま食べ物を味わえるのは、使っている抗がん剤に味覚障害の副作用がないおかげだ。

 だが薬剤は時間がたつにつれて耐性ができ、使えなくなるとされる。現在のものはどれぐらい使えるのか。主治医に尋ねたときの答えは「2年間使えた方もいる」だった。

 しかし、その2年間の節目は今年6月に過ぎた。いつ体調が悪化し、「効かなくなった」と判断されても不自然ではない。

 膵臓(すいぞう)がんはがんの中でも生存率が低いとされる。原因のひとつが使える抗がん剤の少なさだ。

 私の場合、今のものがもう効かないとなれば、基本的にあと1種類しか残っていない。

 副作用の出具合は人それぞれとはいえ、こちらは味覚障害ばかりでなく、口内炎ができるおそれもある。味に加えて痛みのため、食事がより進まなくなるかもしれないわけだ。

 病院などでは、味覚障害の患者のための講習会が開かれることがある。栄養不足に陥らないよう、とりやすい味にするといった狙いだ。

 もちろん、抗がん剤を切り替えても病気が悪化すれば「効果がない」として使われなくなり、味覚障害に苦しむこともないだろう。だがそれを望む人はいるだろうか。

 手を尽くしたうえで割り当てられた我慢はしなければならない。

  ◇
 人は生まれ、やがて死ぬ。そこにあって「食」はただの栄養ではない。家族や友人との思い出を彩り、人生を意味あるものにしてくれるものだ。

 黒沢明の映画「七人の侍」にこんな場面がある。野武士の襲来に備えて侍を雇おうと、農民が米の飯を差し出す。侍は「この飯、おろそかには食わんぞ」とおごそかにそれを口に運び、村を守ることを約束する。

 病院のレストランで会社の先輩からごちそうになる1杯のコーヒー。これなら食べやすいだろうとお見舞いの人が気づかってくれる結果、すっかり我が家の冷蔵庫の常連となったゼリー。季節になると福島から届く果物。

 いま口にしているものをいつでも、あるいはいつまでも、味わえるとは限らない。そこに込められた思いも、時間も、決しておろそかにはすまい、と思う。

著者プロフィールを見る
野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐の記事一覧はこちら