メンバー表にうっかり別の選手の名前を書いてしまったことから、正規の登録選手が試合に出場できなくなったのが、1999年の1回戦、新湊vs小松。

 この日、小松の吉本達治部長は、試合前に提出するメンバー表に、背番号16の2年生・谷口敬太の名前を記入すべきところを、うっかり登録外の中出恭平の名前を書き込んでしまった。

 この誤記がメンバー表交換後に判明したから、さあ大変!このようなケースでは、試合前に発覚した場合、当該選手は失格、試合中だったら没収試合、試合後だったら無効試合になるところだ。

 大会本部が協議した結果、特例措置として「谷口選手のベンチ入りは認めるが、試合出場は認めない」ということになった。

 吉本部長は「本人には申し訳ないことをした」と平謝り。谷口も「試合前に部長、監督から言われました。(出場できなくて)悔しいです」とうなだれた。

 当初谷口は三塁コーチを務める予定だったが、それすらも認められなかったため、ベンチ内でバットの片づけ作業などをしてチームの一員としての役割をはたすことになった。

 試合は8回を終わって小松が5対0とリード。勝って2回戦に進出すれば、次の試合は出場可能になるはずだったが、勝利目前の9回に5連続長短打などで一気に追いつかれ、延長11回の末、5対9で無念の初戦敗退……。

 試合後、谷口がベンチ前でナインと一緒に整列しようとすると、審判に制止されるひと幕もあり、最後の最後まで悔いの残る甲子園となった。試合前のメンバー表にも細心の注意が必要だ。

 臨時代走にうっかり代走を出してしまったことから、好投のエースを降板させなければいけなくなるトンデモ事態を招いたのが、2011年の2回戦、海星(長崎)vs東洋大姫路。

 1対0とリードした東洋大姫路は7回1死、エースの原樹理(現ヤクルト)が永江恭平(現西武)からヘルメット直撃の死球を受け、治療のため、ベンチに下がった。

 規定により、最も打順の遠い広田智也が臨時代走で一塁に出たが、直後、捕逸で二進して1死二塁とチャンスが広がると、のどから手が出るほど追加点が欲しい藤田明彦監督は、広田が臨時代走であることを失念して、代走・家入琢を送ってしまった。
この時点で原は交代確定。三牧一雅部長から指摘されて、自らのうっかりミスに気づいた藤田監督は「あちゃー!」と頭を抱え、「すまん、オレを助けてくれ!」とナインに頭を下げた。

 リリーフの岩谷力良は県大会で1試合に登板しただけとあって、1点差での緊急登板はさすがに荷が重く、いきなり2死三塁のピンチを招く。だが、捕手・後藤田将矢から「思い切って楽しんで投げろ」と励まされ、次打者を空振り三振。その裏、後藤田が左越え3ランで強力援護してくれたのが大きくモノを言い、終わってみれば、4対0の完封リレーと最良の結果になった。

 選手たちにミスを帳消しにしてもらった藤田監督は「今まで(の勝利)で一番うれしい」と顔をクシャクシャにして喜んでいた。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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