悲運の没収試合から11年後、夏初勝利をサヨナラ勝ちで飾った蘇南ナイン (c)朝日新聞社
悲運の没収試合から11年後、夏初勝利をサヨナラ勝ちで飾った蘇南ナイン (c)朝日新聞社

 今年も各地で地方予選が行われ、夢の甲子園出場へ向け球児たちが熱い戦いを続けているが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、夏の選手権大会の予選で起こった“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「ああ……不運編」だ。

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 試合開始から35分で没収試合という不運なアクシデントが起きたのが、1997年の長野県大会2回戦、飯田vs蘇南。

 前年春に軟式から硬式に転向したばかりの蘇南は、2年目の同年は春の県大会の中信地区予選1回戦で松本第一に16対13で打ち勝ち、うれしい公式戦初勝利。2度目の出場となった夏の県大会も、3年生4人、2年生2人、1年生3人のギリギリの9人で出場し、勝利を目指した。

 対戦相手の飯田は春の県大会で地区予選を勝ち抜いて南信地区の代表になった実力校。1回にいきなり4点を先行された。

 アクシデントが起きたのは、その裏の攻撃中だった。蘇南は2死から3番・北原将が三ゴロで一塁にヘッドスライディングした際に左手薬指脱臼、第2関節じん帯断裂の重傷を負ってしまった。それでも「最後までやる」と出場を訴えたが、治療を受けている最中に貧血も起こしたため、救急車で病院に運ばれた。

 この結果、8人になった蘇南は試合続行が不可能となり、試合開始から35分後に無念の没収試合(0対9)となった。

 小池昌信監督は「人数の少なさに不安はあった。まさか試合でこうなるとは思わなかった」と沈痛な表情。試合後、球場の外で残った8人の部員に「どうすることもできないが、申し訳ない」と詫びた。最後の夏となった3年生も「一生懸命やった結果だから仕方ない」と納得した。

 3年生が抜けた新チームは部員が5人となり、練習も満足にできない苦境に陥ったが、主将になった北原は「自分が中心になって借りを返そう」とチームをよくまとめ、翌年夏、1年生9人を加えた14人で県大会に出場。1回戦の上伊那農戦は、7回コールドで敗れたものの、エース・4番として最後までグラウンドに立ちつづけた。
その後、蘇南は2008年に富士見を2対1で下し、悲願の夏初勝利を挙げている。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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