新聞を買いにきたり、結婚や訃報の記事やスポーツ記事に使う写真や資料を自ら届けに来る地元民もたくさんいるため、誰でも比較的簡単にニューズルームに出入りできてしまう構造なのだ。

 警備員が何人も配置されている全国紙のニューヨーク・タイムズ紙などとは、社屋の造り自体が違う。

 筆者の場合は、勤務先のミシガンの新聞社が、秋になるとハンティング写真コンテストを主催していたこともあり、ハンターたちが自分が仕留めた「8ポイント」や「6ポイント」などの大きな角のある鹿を、トラックの荷台に積んで新聞社にやって来るのに毎回対応していた。

 ハンターと鹿の写真を撮影し、どの鹿が一番大きいかを比較して紙面に載せるのも「仕事」のうちだった。当然、銃を持っているハンターたちと日頃から接するわけだ。新聞社が掲載した論説記事やコラムへの賛否両論なども、彼らから撮影中に何度も聞いた。ほとんどのハンターたちはフレンドリーだが、中には、論説記事に激しい怒りを露わにする人もいた。

 そんな地方紙で働く記者たちの給料は、日本の大手新聞社の給料の半分から3分の1以下の薄給だ。彼らの多くは、ローンを組んで地元に家を買って住み、取材対象者や読者の子供たちと同じ小学校や中学校に自分の子供を通わせている。多くが夫婦共働きだ。通勤のための車のガソリン代など社から出ないから、通勤の交通費は自腹。よって必然的に新聞社の近所に住む社員が多い。

 ランチを外食する記者もほとんどいなかった。皆手製のサンドイッチなどの弁当を持ってきて、朝8時には全員出社し、1日にひとり2-3本の記事を書くのが当たり前。取材時には、自分の車を運転していく。ニューズルーム内では警察無線が常に流れており、いざ何か事件が起きれば、カメラを掴んで記者が飛び出して行く。

 夕方に一度帰宅して食事をした後は、夜の政治集会、ゾーニング会議、教育委員会の公開ミーティングなどを夜中まで取材する。土日はスポーツ、卒業式、祝日のパレードなどを手分けして取材するという超過密スケジュールだ。

 殺された5人のキャピタル・ガゼット社員は、エディター、コミュニティ担当記者、論説欄のエディター、教育・スポーツ担当記者、セールス担当など、34歳から65歳までの男女だった。

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いつか新聞社に襲撃をかけるのではないかと恐れていた