そんな戸惑いも、同級生は瞬時に察してくれる。監督代行への就任が決まったとき「やるの?」と心配の電話をしてきたのは、松坂だった。その後も時折、LINE(ライン)で連絡も来るという。気を許せる同級生との会話なのに「話し出したら、どうしても、真面目な野球の話になっちゃうんですよね」と平石。同じ時を共有した“戦友”は、立場が変わっても思いは変わらないのだろう。

 1998年、20年前の夏。

 エース・松坂を擁する横浜と、主将・平石が率いるPL学園との準々決勝は、延長17回にまでもつれこむ激闘となった。

 試合序盤、三塁コーチャーを務めた平石は、横浜の捕手・小山良男の動きで松坂の球種を見抜いた。平石は選手たちにクセを伝え、松坂攻略の糸口とした。それでも、たった一人で250球を投げ切った松坂にかなわなかった。

 その松坂がメジャーリーグから日本に復帰し、昨季までの3年間は右肩、右肘の相次ぐ故障から精彩を欠いていた。楽天初の“生え抜きコーチ”として、指導者のキャリアを積んでいた平石だったが、松坂の苦闘を見聞きするにつけ、心を痛めていた。

「辞めてもよかったわけじゃないですか。でも、大輔は野球が好きなんですよね。いろいろな思いの中でも、現役をやりたいから、あの道を選んだ。尊敬しますよ」

 復活は無理。もう限界。そんな周囲の無責任な、心ない推測が飛び交うのも、スターゆえの苦悩。そんな中で今季の松坂はここまで3勝を挙げて、存在感を見せつけている。そしてセ・リーグの先発投手部門のファン投票選出という栄誉をひっさげ、12年ぶりに球宴の舞台へ帰ってきた。

 6月17日の西武戦(メットライフドーム)で、登板直前に背中を捻挫して先発を回避して以来、26日ぶりの実戦マウンド。しかし、西武の後輩・秋山翔吾に先頭打者アーチを許し、森友哉にも3ランを許すなど1回5失点。レギュラーシーズンならカットボール、ツーシームと、打者の手元で微妙に変化させる真っすぐ系に加え、120キロ台のスライダー、そして110キロ台のカーブを交える緩急をつけたピッチングで打者の打ち気をそらし、打ち取っていくのが今の松坂の投球スタイル。それでも、後輩たちの「松坂さんと勝負したい」という“煽り”に乗せられて、松坂も「真っすぐ勝負」を宣言していた。

 ところが、後輩たちに痛打され「直球系で勝負にいって、見事に返り討ちにあいました」と苦笑。それでも、球宴の舞台に復活してきた松坂の姿に、京セラドーム大阪の野球ファンは惜しみない拍手を送っていた。

 その姿に、平石も決意を新たにしたという。

「あいつが頑張っているから、同級生が、またみんな、やる気になっているでしょ?」

 昨季、巨人を退団した村田修一は独立リーグの栃木でプレーを続けながら、NPB復帰の時を待っている。DeNAを退団した久保康友も、米独立リーグで現役続行。あくなき挑戦を続けている。

 松坂と小、中学校時代に同じチームでプレーしたオリックス・小谷野栄一も、今季の交流戦で対決して「うれしかったです」と言う。PL学園の5番打者として、20年前の夏に平石とともに松坂に立ち向かった大西宏明は来季から、故郷・堺市に設立される独立リーグ球団の監督に就任が決まった。平石も監督代行という同級生がまだ誰も経験したことにないポジションに就き、楽天の再建という大きなミッションに挑んでいる。

「やれることはやって、それでも『平石はアカン』となれば、それは、しゃあないですわ。覚悟決めて、腹くくってね」

 その思いは、松坂も同じだ。

「後半戦もチームの力になりたい。休まないように、頑張りたいと思います」

 ベテラン投手と、新米指揮官。球宴の舞台で、互いの奮闘ぶりを確かめ合えた。新たなエネルギーと心の刺激を得た2人は、再び後半戦の厳しい戦いへと戻っていく。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。