中日・松坂大輔と楽天・平石洋介監督代行 (c)朝日新聞社
中日・松坂大輔と楽天・平石洋介監督代行 (c)朝日新聞社

 偶然を装って、近寄ってきたのに違いない。

「なんで、ここにお前がいるんだよ?」

 7月13日、球宴第1戦が行われる京セラドーム大阪の外野フェンス沿いで、登板前にランニングをしていた松坂大輔がそんな軽口を叩いてきたという。

「俺も、分からんわ」

 平石洋介も、笑いながらそう答えたという。

 1980年生まれの同級生。松坂は昨季まで所属したソフトバンクでの3年間で1軍登板1試合。昨年は実戦登板はなかった。平石は昨季までの2年間は楽天の2軍監督を務め、今季から1軍ヘッド兼打撃コーチに昇格していた。その2人がグラウンドで、ユニホーム姿で久々に顔を合わせたのは、中日と楽天のオープン戦が行われた3月4日のナゴヤドームでのことだった。

 そこから4カ月。球宴の舞台で、2人が顔をそろえることになろうとは、その時には想像がつかなかっただろう。というよりは、お互いの立場を考えれば、球宴での再会はあり得ないはずだった。京セラドームでの、松坂の“冷やかし”にも、その驚きがちょっとだけ込められていたのだ。

 楽天は昨季3位。球宴には昨季3位チームの監督がパ・リーグのコーチとして参加することになる。6月16日に梨田昌孝監督が成績不振を理由に辞任。借金20と、パの最下位に苦しんでいるチームの指揮を託されたのは、ヘッドの平石だった。

「そんな前触れみたいなものは、全くなかったんですよ。それとはなしに、におわされてるのかな……というのは、ちょっとありましたけど……。梨田さんから『途中で投げ出す形になって申し訳ない』って言われて」

 38歳での監督代行への就任。他の11球団を眺めても、30代の監督はいない。試合の動きを見て、作戦を決める。投手交代、代打のタイミングも計り、コーチや選手に指示をする。反対にコーチ陣から「ここはどうしますか?」と決断を迫られることもある。

「試合中、本当にいっぱい、やることがあるんですよね。監督って、大変ですね。試合が終わったら、勝っても負けても、ぐたっとなりますもん」

 己の決断が、勝敗を左右する。そのやりがいはあるが、重圧も並大抵のものではない。それでも、平石が指揮を執ってからの楽天はここまで8勝8敗の勝率5割。借金20でチームを引き継いだことを思えば、好転の兆しは見えていると言えるだろう。そして、球宴でのパのコーチ役も必然的に監督代行の平石が“引き継ぐ”ことになった。

 選手として球宴出場の経験はなく、しかも監督代行になったばかりの平石にとっては、どこか面はゆく「なんか、想像もつかない感じでした」。

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松坂は平石の戸惑いを瞬時に察した