高校時代は無名だったが、プロで活躍した巨人・上原 (c)朝日新聞社
高校時代は無名だったが、プロで活躍した巨人・上原 (c)朝日新聞社

 各地で地方大会が開幕している全国高等学校野球選手権大会。100回の記念大会ということもあり、本大会では連日甲子園を沸かせた、かつての名選手たちによる始球式が行われている。しかし、彼らのような“レジェンド”がいる一方で、高校時代はまったく無名だったプロ野球選手も少なくない。そして、なかには所属するチームでレギュラーですらなかった選手もいるのだ。今回はそんな高校時代に控えだったものの、その後大きく開花した選手たちを紹介したい。

 有名な例では黒田博樹(元広島・上宮)と上原浩治(巨人・東海大仰星)の二人だろう。黒田は2年春には背番号10を与えられるなど期待されていた投手ではあったものの、安定感には乏しく最後まで背番号1を背負うことはできず、3年夏の地方大会でもマウンドに上がることなく高校野球生活を終えている。ちなみに黒田が所属していた上宮は当時全国的にも有数の強豪であり、1学年上のエースは薮田安彦(元ロッテ)、同期のエースは西浦克拓(元日本ハム)で外野にも筒井壮(元中日など)といったプロ選手も多く輩出している。黒田はその後、専修大に進み、大きく才能が開花。神宮球場で大学生としては初となる150キロをマークするまでになり、逆指名で広島に入団している。

 一方の上原は、高校時代は主に外野手としてプレーしており、当時のエースは建山義紀(元日本ハムなど))だった。投手としての実績はゼロに等しく、大阪体育大を受験するも失敗して一年間の浪人生活も経験している。しかし、当時のトレーニングが実を結び、大学ではリーグ記録を次々に塗り替えてドラフトの目玉として逆指名で巨人に入団。1年目から20勝をマークし、リリーフ転向後も見事な活躍を見せている。

 今年メジャーでブレイクした平野佳寿(ダイヤモンドバックス・鳥羽)も高校時代に2年春から3季連続で甲子園に出場しているが、体がまだまだ細く、故障がちだったこともあり、控え投手に甘んじている。ちなみに2年春の選抜では後にチームメイトとなる金子千尋(オリックス)のいた長野商と対戦しているが、平野は登板していない。平野はその後、京都産業大に進学。2年からは不動のエースとなり、リーグ新記録となる通算36勝、404奪三振をマークするなど大活躍を見せ希望枠でオリックスに入団。日本球界で通算156セーブ、139ホールドという見事な実績を残して海を渡った。

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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