記事によると、昨年10月13日ごろまでに細野氏の事務所から貸し付けの依頼があったという。



 それはちょうど私のコラムに「いよいよ、正念場の戦いです。私の娘も18歳。父として、恥ずかしくない戦いをしたいと思います」と感想を送ってきた直後にあたる。

 なぜこんなに大きく報じられているのか。配偶者に聞かれ、つい言葉が荒れた。「これで細野が政治家として終わりだからだよ。もう終わりだという記事だから、大きいんだ」

 さすがにそれは、先を見通せない現時点では言いすぎだったかもしれない。記事で彼は、政治家の定番ともいえる認識の違いをあげて釈明していた。『日本改造計画』を「マストでしょ」と言っていた昔の彼ならば、口にしなかったのではないか。そこには「政治資金絡みのスキャンダル」による「国民の政治不信は議会制民主主義の根幹を揺るがすまでに高まっている」と書かれている。

 彼は最初の選挙で例の「のぼり旗」を手に、伊豆半島を若者たちと歩いて一周した。「政治家は多くを語り、聞かない」と、聞くことを目標に掲げた。それなのに、報道の翌28日、報道陣の前に姿を現した際、まだ質問が続いているのに、その場を後にしたという。なぜ質問が途切れるまで耳を傾けなかったのだろうか。

 前に彼からもらったメッセージには「まだ書かねばならないことがあるということでしょう」とあった。その「書かねばならないこと」が、彼への苦言になるとは。極めて残念だ。

 初当選から18年。政治を変えたいという彼に、すでになくなった人も含め、多くの人たちが期待した。

 彼らだったら今、何というか。一人ひとりに会い、あるいは顔を思い浮かべ、その声に耳をすませてほしい。
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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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