目が合い、目礼したら、ウンとうなずき返してきた。腹を固めた感じではない。実際、それっきりだった。



 2014年春に福島総局に赴任したころ、彼が自民党的な派閥を立ち上げてメンバーに政治資金を配ると報じられた。米をもらっていた彼が金を配るとは――。

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 深い付き合いどころか、永田町に移ってからは取材相手ですらなかった。だから2016年2月19日、がんの疑いを指摘されて東京に戻ったあとに彼からメッセージが来たときは驚いた。

「病気のこと、聞きました。手術はどこでやるんですか? 術後のことも含めて、病院選びは大切です。お手伝いできることがあればと思います」

 もちろん気持ちはありがたい。だが記者として復帰を望む以上、政治家に借りは作れないからと、お断りした。

「元気になって、必ず復帰してください。永田町で待ってます」と返事があり、その後、病院に顔を出してくれた。

 その夏。私は復帰1本目となるコラムを書き、国会内で超党派の議員勉強会が開かれた。細野氏が自民党にいる私の知り合いと連絡を取り、段取りをつけたのだ。私も講師に呼ばれ、上司に許可をもらって出席した。相変わらずデカい細野氏に心の中で手を合わせた。

 希望の党をめぐる分裂騒ぎの末、細野氏は無所属議員になる。だが5月、ぽつんと議場にひとりたたずむ写真を見て、悪くない、と思った。

 前のように首相候補に挙がることは望めないだろう。だとしても1人の政治家として、LGBTや子どもをめぐる政策など、こだわりを追求すればいい。東京に戻って初めて、自分から連絡を取った。逆風にさらされている知り合いを、今度は自分が励ます側だと思ったのだ。

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 それだけに、6月27日付の朝日新聞朝刊で、金銭をめぐる不祥事を報じられたのは残念だった。「昨年10月の衆院選の期間中に、東京都内の証券会社から5千万円を受け取っていたことがわかった」との内容だ。
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