また、汚い池が綺麗になるところを見れば、自分では汚さなくなると思います。井の頭公園などでは、定期的に「かいぼり」を行っているのに、やるたびに自転車が何台も出て来るそうなので、それを聞くと悲しい気持ちになりますね。

 作品に「かいぼり」を出したのは、そういう実態を読者に知ってもらいたかったからです。それには、やはり「かいぼり」が楽しいものだと思ってほしかったので、加藤先生をモデルにした動物学者の他、破天荒な学者も登場させていますので、より興味を持ってもらえるのではないかと思います。

 一方で、警察小説としては、「かいぼり」が楽しいだけではいけない。テレビを見ているときも、「もし、この収録の途中で、池から白骨や遺体が出てきたら、どうなるんだろう?」と考えてしまいました。それは作家としての性かもしれないですね(笑)

――老人の孤独死問題も扱っていますが。

 日本は、親子間の争いが比較的少ない国だと思っていたのですが、最近では、ニュースを見るたびに、この問題がでてきます。若者に職がない、また、引きこもりが問題になるにしたがって、シニア世代である親が働かなくてはならなくなってしまいました。でも、そういう立場の親が病気になったら、どうなるのか? どうしようもなくなって、一家心中に走ったり、娘が高齢の親を殺害するという事件も珍しくありません。新作の中では、赤の他人である青年が孤独な老人と同居し、こまめに日常の世話をしますが、この形も現実味を帯びてくるのではないでしょうか。

 というのも、80代の老人が、赤の他人である20代の男性と同居しているニュースを見たからです。老人が食事を作り、その他の家事は分担で行う。おそらく、重労働は若い人がやるんでしょうね。番組では、二人が口をそろえて、「赤の他人だからこそ、上手くいっている」と言っていました。そう考えると、親子だからこそ遠慮がなく、言いたいことを言ってしまう。それがエスカレートして、思い切った行動に出てしまうということがあるのかもしれません。身内と他人の境界が曖昧になっているんですね。

 今は、老人でもお金を持っていなければならない時代になってしまいました。金の切れ目が縁の切れ目とは昔から言われますが、それが親子関係にも当てはまりつつある。子供が親の面倒を見るのが当たり前とされていたのが、いつしか立場が逆になってしまいました。それが親の育て方に問題があったのか、別の理由があるのか分かりませんが、将来を考えると恐ろしい思いがします。身内が当てにならないからといって、最後に行き着くのが赤の他人というのも、やっぱり淋しいですね。