グレッグ・オールマンをドラッグ・ディーラーの役で起用するなど、もともと音楽に強い関心を持っていたと思われる彼女は、ちょうど不幸な事故で幼い息子を喪ったばかりのクラプトンに、その低予算作品の音楽を依頼した。これといったコネクションもなく、いわゆる「ダメもと」だったわけだが、ところがある日、予想に反して、スコアのアイディアといくつかの曲が届けられた。葬儀を終えたあと、小さなスパニッシュ・ギターを抱えて一人で静かな時間を過ごしていたという彼に、未知の存在だったはずの女性監督がつくり上げた作品は、なにか、とても強く訴えるものを持っていたに違いない。こうして二人の間に太い絆と信頼関係が生まれ、20年以上の歳月を経て、究極のドキュメンタリー作品をつくることに決めたとき、「仕上げは彼女に任せるしかない」と考えたのだそうだ。

 スマートフォンで自撮りしたと思われるB.B.キングへの追悼コメントで幕を開ける『エリック・クラプトン 12小節の人生』は、すでに書いたとおり、起伏に富んだ人生と半世紀以上に及ぶ音楽家としての軌跡をテーマにした作品だが、単純に時間の流れに沿って七十有余年をたどったものではない。その方向性は2007年出版の自叙伝『クラプトン』ともかなり異なっていて、全体的な印象として、「そこまでやりますか」と思ってしまうほど、挫折や苦悩、苦境に重きが置かれている。

 たとえば、複雑な生い立ち、親友ジョージ・ハリスンの妻パティを深く愛してしまった苦しい想い、ドラッグやアルコールへの過剰な依存などは克明に描かれていて、その反面、1974年の「奇跡の復活」に関しては、あの『461オーシャン・ブールヴァード』や『アイ・ショット・ザ・シェリフ』の大ヒットにすらほとんど触れられていない。なんとかドラッグを克服した男を待っていたのはどこでも簡単に手に入るアルコールの魔の手、といった描き方なのだ。このあたりは、クラプト自身が強くこだわったことであったに違いない。

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