聞かれた人は、判断したくなります。しかし、「あなたのここが悪い」「ここが間違っている」と言われた側が、いい気分になることはありません。言われたことに反論できなければ、従うかもしれませんが、所詮しぶしぶです。積極的にとか好意的に改善しようという気持ちになることは稀です。

 理恵さん夫婦は、お互いに反論できていますから、なおさら相手の言う通りにはしないでしょう。私が何らかの裁定をしたとしても、どちらの方も納得できる話など、そうそう見つかるはずもなく、私にできる「アドバイス」は、「お互い思いやりが大切ですよ」などと精神論的なことを言ってお茶を濁すか、「感謝の気持ちが必要ですから、毎日3回、相手にありがとうを言いましょう」などと話をそらすか、さもなければ、具体的なことを言って少なくともどちらかの方には不評を買うかです。

 たとえば、仮に私が、

「正義さん、お気持ちはわからないではないですが、今どきは、そういう話は通らないですよ。もう少し、育児の手伝いをして、家計簿もどうしてもつけたければご自分でやられたらどうですか」

などと言えば、正義さんに、あいつは全然わかっていない。何も役に立たない、と思われるのが関の山です。逆に

「理恵さん、大変なのはわかりますけど、約束したのだから守るべきではないでしょうか」

などといえば、理恵さんが、男だからこんなに大変な私の状況を分からないんだ、と思われるでしょう。

「約束を変える話し合いをしましょう」というのはもう少しまともな提案かもしれませんが、結局、やってみて苦しいから約束を変えるというのは間違っているだとか、一度約束が成立したのに一方的に譲歩するのはおかしいとか、また同じ構図に陥ることが予想されます。

 私は、夫婦の問題は、善悪を判断することでは解決しないと考えています。確かに、社会には、差別は悪いことだとか、虐待は悪いことだとか、そういう「悪」があります。確かにDVは夫婦の間でも「悪い」ことです。でも話をするという観点からすると、夫婦の関係に善悪を持ってくると話をこじらすだけです。

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「適切な前提」とは?