関海事工業所は、1906(明治39)年に創業。もともとは、サルベージなどの潜水業のほか、淡路市と明石市の間で自動車を海上輸送していた。しかし、1954年、同区間で日本道路公団(当時)のフェリーボートが開通し、同社は海上輸送事業を廃止。海底ケーブル事業に特化することとした。

 全国の沿岸で実績を積み上げ、信頼される企業となったのは、数々の転機を乗り越えてきたからだ。思い切った設備投資もその一つ。工事の受注が減ってきたことを受け、2005年、これまでの台船を改造し、自動制御装置を搭載した。

「例えば、海底にケーブルを埋めながら敷設する場合、1分間に1メートル、3メートルといった速度で台船を動かさなければいけません。それまでは、いかりを打つ、巻くという作業を繰り返しながら、船を移動していましたが、コンピューターで位置を自動制御できれば、その手間を省け、工事期間が短縮できる。トータルコストも下げられるはずだ、と考えました」(関社長)

 銀行や取引先に説明し、台船を改造。いかりを打って船を移動するという力技からコンピューターでの制御へと工事のやり方ががらりと変わり、社内では「使いこなせるのか」と不安もあったという。だが、「従業員が必死に取り組んでくれました。パソコンを使えなかった人が、CADを使いこなせるようになって。船を正確に操れるため、現場でのやり取りも穏やかになりました」(関社長)

 台船の改造により、工事のスピードは4、5倍ほどアップ。いかりを使わずに船を移動するため、明石海峡など船の交通量が多い海域での作業も可能になり、受注する工事の幅が広がった。

 仕事のやりがいは何だろうか。関社長に尋ねると、「島民の方々のライフラインを支えられること」と答えが返ってきた。断水した島に拠点を置いて送水管の復旧工事を行った時は、ポリタンクに入れた水を使って生活し、島民と不便さを共有した。「工事を終えて水が通った時は、島民の方々と手を取り合って喜びました。『ありがとう』と言われるとうれしいですね」(関社長)

 関社長は常に、従業員に「考えろ、考えろ」と声をかける。「考えることをやめてしまうと、成長しません。つらいことも多いですが、もっともっとやれることがある、と前を向いて進んでいきたい」

 東日本大震災の影響で再生エネルギーが注目され、全国で洋上風力発電の実証実験が進む。洋上で発電した電力を本土に送るのにも、海底ケーブルが必要となる。関連工事への参加を視野に入れる関社長は「風力発電なので、ハードな環境になりますが、効率よく作業を進めたい」。その言葉に、長い年月で培った技術への自信が垣間見えた。(ライター・南文枝)