■日大アメフト部の加害選手が示した答え

 では、このような損得計算にもとづくルール違反で非人道的な命令に出くわしたとき、われわれはどうすべきか。今回、日大アメフト部の加害選手がその答えを示している。彼は、命令を受けたとき、その命令に従うことが人間として正しいかどうか価値判断すべきであり、自ら問うべきであったと述べた。それを問わずに、ケガさせれば試合に出してやるという上からの指示のもとに、彼自身が損得計算して得する方を選んでしまったのだという。

 確かに、人間の行動原理として、経済合理的な損得計算は必要ではある。しかし、それが人間の究極的な行動原理にはならないことが、今回の事件でも明らかになったといえる。やはり、人間は、自らの行動が常に正しいかどうか、適切かどうか、価値判断する必要がある。そして、もし経済合理的な損得計算から導き出された行動が正しくないと価値判断するならば、その価値判断が、次にわれわれは何をなすべきかと、実践的行為を要求してくるのである。このような内なる理性の声を聴いた行動が、改革の不条理を防ぐ重要な鍵を握る。

 そのような価値判断にもとづく実践的行為は、それが主観的であるがゆえに、損得計算が上手な人間にはまったく非合理的に思えるかもしれない。それゆえ、損得計算ができる多くの優秀な人たちは価値判断にもとづく実践的行為を恐れ、避けようとする。しかし、恐れるべきはない。この主観的な価値判断、そしてそれにもとづく実践的行為に対して、われわれは責任をとればいいのだ。ここに、実は人間らしさ、人間の自由や自律があり、人間固有の尊厳や気品がある。それは、個人としての人間に対してだけでなく、人間が集まって形づくられた組織にも当てはまる。

 では、価値判断にもとづく実践的行為に対して責任をとるとは、どういうことであろうか。今後、内田元監督や井上元コーチは、どうするべきであろうか。元監督や元コーチを含む日大が尊厳や気品を取り戻すには、損得計算に基づく行動に終始してしまった不明を認め、真摯に詫びるところから始める以外にないのではないだろうか。それが、日大という組織の信頼回復への長い道のりの第一歩になる。そのような行動が伴っていなければ、現政権のようにいくら口で「責任をとる」「改革する」といったところで、誰もその言葉を信じることはないであろう。