センターにも懐かしい名前が……。元巨人のダン・グラッデンが選出されている。1994年に来日し、98試合で打率.267、15本塁打、37打点とまずまずの数字を残したが、プレーよりもヤクルト戦での中西親志捕手との激しい乱闘が記憶に残っているファンも少なくないだろう。

 グラッデンは、ミッチェルとは違い、高校やジュニアカレッジ(二年制の短期大学)などで活躍した選手だった。しかし、メジャーリーグの球団からは声がかからず、当時ジャインアンツのマイナーで監督を務めていたジャック・マル氏に懇願。契約金の放棄を喜んで受け入れるなど、何とかマル氏を説得しチャンスをつかんだ苦労人だ。

 そして、マイナーリーグ5年目の1983年にメジャーに昇格。翌年にはセンターのレギュラーを掴み、86試合の出場で打率.351、4本塁打、31打点、31盗塁でナ・リーグの新人王投票では4位につけるパフォーマンスを見せた。その後、主にミネソタ・ツインズなどに所属し、11年間通算で打率.270、74本塁打、446打点、222盗塁を記録。ツインズ時代の1987年と1991年にはワールドシリーズ制覇を経験した。

 また、2003年に一度は中日の支配下選手となったケビン・ミラーが一塁手として選出されている。移籍をめぐってさまざまな問題が発生し、結果的に日本でのプレーは叶わなかったが、ミッチェルとグラッデン同様にこちらも日本に縁がある選手が選ばれ、プロ野球ファンにとっては興味深い選手が並ぶ結果となった。

 毎年多くの外国人助っ人がプロ野球チームに入団し、来日時にはメジャーでの成績などが大々的に報道されるが、こういった日本ではなかなか伝えられない選手の過去を知るのも面白いもの。今年も各球団に助っ人選手が加入しているが、贔屓のチームの助っ人がどんな経緯で日本にわたってきたのか調べることで、新たな一面が発見できるかもしれない。(文・石原幸晶)