「お正月には来られるんでしょ?」「佳奈さんも来られそうなら、一緒に連れてきなさい」

 予想外の言葉に驚き、香織さんは「え? あ、うん、聞いてみる……」としか答えられなかった。元日の夜に佳奈さんと二人で実家を訪ねた。最初はぎこちない沈黙が続き、テレビから流れる正月の賑やかな声が、やたらと響いて浮いている感じだった。しかし緊張がほぐれてきたころ、母親がさらっと言った。

「二人とも今年も元気で仲良くね」

 香織さんも佳奈さんも、一瞬、止まったという。そして、先に返事をしたのは佳奈さんだった。「ありがとうございます」。その声はちょっと涙声だった。それから父親がこう続けた。

「これからも香織をよろしくお願いします」

 佳奈さんが「はい」と答えたときには、香織さんも泣いていた。

「ありがとう」

 それから、4人で食事をすることも増えたという。実は、香織さんのカミングアウト後、両親はLGBTについて新聞記事や本で勉強していたのだ。

 香織さんがカミングアウトしたとき、母親はこんな気持ちだったという。

「とてもショックで、目の前が暗くなるようだったけど、それ以上に、泣きじゃくる香織がかわいそうでつらかった。少し時間が必要だったけど、そんなつらい思いはもうさせたくないと思うようになったのよね」

 カミングアウトの数だけ、葛藤や戸惑いがある。いずれにしても、カミングアウトは性的マイノリティ当事者だけの問題ではない。あなた自身は性的マイノリティでなくても、もしかしたら明日、誰かからカミングアウトを受けるかもしれない。先述の砂川秀樹さんは、『カミングアウト』の中でこう語る。

「異性愛者と一口に言っても、その感情のあり方、気持ちの表現の仕方はそれぞれだ。しかし、社会の中で、異性愛を前提として、男性の役割はこうあるべき、女性の役割はこうあるべきという固定化によって、ひとりひとりの多様なあり方は無視され、抑圧されたりもする。ゲイやレズビアンがともに生きているということを意識し、異性愛前提による男女の対が当たり前でなくなれば、知らないうちに自分で自分にはめていた枠がはずれて楽になっていくことだろう」

 性的少数者がカミングアウトしやすい社会は、異性愛者にとっても生きやすい社会なのかもしれない。