ならば目の前の首相よりも、テレビやスマホで見守る国民に「将来の首相」を売り込む場としてどう生かすか注目したが、空振りに終わった。枝野氏は左手を挙げて質問を求めている最中に、委員長から時間終了を告げられると、くるっと首相に背を向けて退席していった。あまりにも予想通りの展開で、用意しておいた原稿はけっきょく一文字も直さずに済んだ。

 そうして翌31日付朝刊に載った「分断乗り越える言葉を」は、私にとって、今年2月以来の「紙」の記事だ。

一方、別の記事は、野党党首がいかに安倍首相を追及したか、大ぶりに紹介していた。社説の見出しは「党首討論 安倍論法もうんざりだ」だった。

 それを見てある言葉が頭に浮かんだ。

 世はすべてこともなし――。「春の海」ならぬ「夏の国会」も、それぞれが破綻なく役回りをこなし、のたりのたりとゆくのかもしれない。

 正直なところ、野党の姿勢を不思議に思わないではない。議員の「寿命」はいちおう任期満了までと決まっている。正面からの追及に拍手喝采してくれる有権者の支持だけでは、政権をたぐり寄せられないだろうに、と。

ただ、持ち時間を私が意識するのは、病気の影響かもしれない。当事者にはそれぞれ考えや計算がきっとあるのだろうと思い直し、あれこれ考えるのはひとまずやめることにした。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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