西郷を好演した西田さんは、当時のことを次のように語る。

「僕の故郷・郡山は会津藩の管轄ですから当然会津びいきです。会津の人間にとっては、明治維新で会津を徹底的に打ちのめした薩摩と長州は、許しがたい敵なんです。昔も今も。『神花』で長州の山県有朋に扮したとき郡山の友人たちに、“西田、何でお前、山県なんかやるんだ”と批判されました。だから今回、西郷役を依頼されたときは友人に相談したところ、“西郷はいいよ、長州じゃなければいいよ”と言われました。もう百何十年も経っているし恨みや憎しみは忘れようという声はありますが、足を踏んだ人は踏んだことを忘れても踏まれた方は忘れないものです」

 冒頭に紹介した“大久保利通銅像建立”問題を彷彿させるお話だ。そんな背景から西田さんはどのように西郷に取り組んだのだろうか。

「西郷隆盛について、みなさんがよく知っている西郷の肖像画がありますね。僕はあえてその肖像画に似せよう、近づこうと努力しました。実際の西郷さんはあの顔ではなかったという説もあるし実像はほんとはよく分かっていないので、まずは外面から近づこうとしたのです。カツラも精緻なものを作ってもらい、眉を太く描き、上背を出すために踵に詰め物をしたシークレット足袋、厚底のセッタを履きました。そんないで立ちでロケに臨んだところ、見学に来ていた老婆が手を合わせて僕を拝むのです。まるで現実に西郷さんを見たかのように。これには僕も驚きました」

 このお話も、「大久保利通公140年法楽」に反対した人や「西郷さんを裏切った男を西郷さんの隣りにはおけない」と大久保銅像建立に反対した人々の、「西郷隆盛に寄せる熱い思い」の現れだろう。

 今年が明治維新から150年という記念すべき年であることから、第57作大河ドラマとして『西郷どん』を放送中だ。「翔ぶが如く」で西郷を演じた西田さんが“語り”を、大久保利通を演じた鹿賀丈史さんが島津斉興役で出演していることが話題になっている。

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