しかも、それは男性に限ったことではなくて、女性もまた「10年選手の母」と「新人の自分」を比べて"母はできたのに私にはできない"という劣等感に苛まれるという。冷静に考えれば「10年選手」と「新人」を比べるなんてどうかしているのだが、そのときには気づくことができないのがなんとももどかしいところだ。

 僕はその10年の溝が埋まるのを待てずに、たまたま料理などが好きだったので自分からそこに入った部分があるのかもしれない。そして、主夫と名乗ることで自分を腑に落ちさせた。

 僕が“兼業主夫”と名乗り初めた頃、妻にそれを表で言うのをやめてほしいと言われたことがある。こちらはよかれと思ってやっているし、嘘はついていない。妻だって助かると言っている。それなのに、なぜ? 聞けば、僕が主夫と聞いたママ友から「あなたは何もしないでいいよね」と嫌味を言われたらしい。まったく余計なことを言う人がいるもんだ、とも思ったけど、確かに端から見ればそうなのかもしれない。特に、家事や育児は女性がやるものだと思っている人からすれば。そして、そんな言葉に傷ついた妻にもどこか「自分がやるべきこと」という意識があったんだと思う。

 妻には主夫と名乗って活動する意味をしっかり説明した。僕ら、主夫の友のメンバーは、決してすんなり現状を受け入れたわけではない。僕らもどこかで「男性は仕事」と思っていた節があるし、少なからず周りから冷たい視線を浴びたことがある。中には、近所の知らない人に「ごくつぶし」と言われたメンバーもいる。僕らが世に出ることで、そういう生き方もあるんだ、と思ってくれる人が一人でも増えれば、家事育児をする男性に対する世間の目も変わるはず。僕らはたまたま知り合って、いいことも悪いことも共有できるけど、そうじゃない人もいて、今でもまだどこかに僕らが過ごしたモヤモヤした時間の真っ最中の人もいるだろう。そういう人たちが少しでも減ってくれたらと心から思っているのだ。それはいろいろ乗り越えたメンバーたちが、今、自分たちが主夫になってよかったと感じているからだと思う。

 活動の意味を説明をすると妻は応援する姿勢に変わった。きっと妻も今の我が家、僕が主夫というスタイルでよかったと思っているんだと思う。ウチはウチでいい。そう思えるまでには結構時間がかかったけど、今は心からそう思える。だから、今、もしも、自分たちの状況と、今まで当たり前だと思ってきた夫婦のカタチを比べてもやっとしている人たちは、自分たちならではのスタイルをそれぞれ探してみてほしいと思う。(文/「秘密結社 主夫の友」・杉山ジョージ)