4番・阿部慎之助への初球は135キロのカットボール。この時、モーションの始動から、捕手の大野奨太のミットに投球が収まるまでのタイムは「1秒58」。右足の影響で、けん制のターンがやりにくかったのもあるだろう。昨季1盗塁の助っ人に過剰な警戒は必要ない場面とはいえ、そのクイックではあまりにも遅すぎる。

 松坂の“異変”をかぎ取ったのだろう。2球目、ゲレーロがすかさずスタートを切った。138キロのストレートだったが、松坂の始動から大野の二塁送球までは「3秒50」。アウトとセーフの“ボーダーライン”は、プロだと「3秒2」だからゲレーロでも楽々のセーフだ。阿部に四球を許したところで、三塁側ベンチから朝倉健太投手コーチが、永田暁弘トレーナーと一緒に飛び出してきた。

 右ふくらはぎの強い張り。ここが限界だった。

「マウンド(が硬い)とか、そういうのじゃないと思います。いくつか原因がありますけど……。マウンドに上がったら、抑えることしか考えていませんから」

 試合後の松坂は右足の異常に関し、詳細を語ろうとはしなかった。自らの負の情報を相手に伝わるような形で明かすようなことを避けるのは、投手として当然のことだ。

 だから、状況からの“推論”と前置きした上で、今回のアクシデントを振り返ってみる。

 2日前、11日の試合前練習中に、松坂は東京ドームのマウンドに立ち、その感触を確かめている。2009年3月7日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表として先発して以来の登板だが、西武時代にも東京ドーム11試合で8勝2敗。1999年4月7日、プロデビュー戦を飾ったのに始まり、幾多の栄光を描き出した相性のいい舞台でもある。

「昔に比べて、少し硬くなっているかな?」

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今の松坂に硬いマウンドは必要ない…