これが、勝つチームなんだ。

 全体練習が終わる。すると、場所を取り合うかのように、メーングラウンドでロングティーを打ち始めるのは、小久保と松中だった。

 主砲の2人が練習をやめない。当時27歳、ブレーク寸前の松田宣浩も2人の背中を追うかのごとく、必死になって打ち続けていた。

 そこに、ルーキーの柳田悠岐という、とんでもないフルスイングの若者も加わってきた。ノックを受ける川崎宗則の元気な声も、グラウンドに響き渡っていた。

 切磋琢磨。練習から、ひとときも気が抜けない。その環境を創り上げてきたのが、王であり、当時監督だった秋山幸二であり、主将だった小久保だった。

 強く、そして厳しい。その伝統が脈々と受け継がれてきた「ホークス」は、セで首位打者にも輝いた男がさらに進化するためには、まさしく必要不可欠な場だった。

 移籍1年目の2011年。内川は、まず交流戦MVPに輝いた。3割3分8厘で首位打者。両リーグでリーディング・ヒッターの座についたのは、史上2人目の快挙だった。2位に17.5ゲーム差をつけてのリーグ連覇を果たし、中日との日本シリーズも制し、日本一にも輝いた。さらに、パのMVPにも選出された。

 あこがれの「頂点」をことごとく制覇したあの年から、ソフトバンクでのプレーは8年目となる今季。ここまで、横浜で945安打、ソフトバンクで1055安打。いつの間にか、横浜時代に積み重ねた数字を超えていた。

 昨秋のクライマックスシリーズ。4戦連続本塁打の活躍でMVPを獲得した内川は、賞金100万円で「全員で焼き肉でも食べます」と宣言した。日本シリーズ開幕前、選手や裏方を招待した。内川が全額を支払ったという。100万円の賞金からは少々、足が出たということらしい。豪快な支払いぶり。その親分肌には、胸につけた「C」のマークがしっくりくる。

 秋山幸二、小久保裕紀、そして、内川聖一。

 ホークスのキャプテンは、グラウンドの上でも、そしてその外でも、まさしく「率先垂範」なのだ。もう誰も、内川を“外様の移籍組”なんて、思ってもいないだろう。大分生まれの男に、九州の球団の水が合わないはずはない。

「この記録も、もともとは通過点とすら思っていなかったんですが、これまで達成された方々の名前や、周囲の盛り上がりを見るにつれ、やっぱりすごい記録なんだなと意識するようになりました。達成までの生みの苦しみも十分味わいました……。いろいろありましたね。すんなり、あと一本が打てないあたり、2000本打ってきたとはいえ、僕もまだまだということです。早くチームのために2001本目を打ちたいです」

 これから、何本、積み重ねていくのだろうか。内川聖一という希代のバットマンの歩みは、まだ止まらない。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。