「難治がん」の記者 7年前“赤坂の夜”の問いかけ「政治は被災者に応えているか」 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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「難治がん」の記者 7年前“赤坂の夜”の問いかけ「政治は被災者に応えているか」

連載「書かずに死ねるか――「難治がん」と闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

レントゲン撮影から車椅子で戻った筆者。食事は流動食、三分がゆを経て現在は五分がゆまで回復=1日、東京都内の病院(撮影/東岡徹)

レントゲン撮影から車椅子で戻った筆者。食事は流動食、三分がゆを経て現在は五分がゆまで回復=1日、東京都内の病院(撮影/東岡徹)

「会談が終わったら両党の委員長にここで並んで内容をブリーフしてもらおう」

 狙いはこういうことだ。会談のブリーフはふつう双方が自らの担当記者に対してバラバラにする慣例になっている。たとえば自民党幹部ならば会談後、国会内にある党の部屋に戻り、番記者相手にやる。ところが、これだと合意点などをめぐる双方の説明のニュアンスが食い違っていてもその場でただせず、新たな火種が生じかねない。これに対し、両者が並んでやればお互いの目があるからそうしたことを防げる、というわけだ。

 とはいえしょせんはブリーフだ。やり方にこだわる記者はまずいない。その時もとくに反対意見はなく、まあそれでいいか、という流れになった。

「それでは両委員長、こちらでお願いします」

 午後5時5分。会談を終えた民主党の安住淳さん、自民党の逢沢一郎さんは廊下に出てくると、記者団に促されるままカメラの前に並んだ。

「しばらくは政治休戦と考えていいか」。祈るような気持ちで私が念押しすると、逢沢さんは「どれほどの被害か想像を絶する。スピード感をもって対応しなくてはならない。野党としても与党、政府と協力してこれにあたる」と「休戦」を明言した。

 ライトに照らされながら話し続ける2人を前に、体の力が抜けた。「これが政治の分水嶺になるかもしれない」

  ◇
 30日に私はもう少し踏み込んだ。復旧・復興関連の法案審議でキーマンになると踏んだ与野党の別の2人に声をかけ、「腹合わせ」を仕掛けたのだ。

 2人とは、民主党の中根康浩さんと自民党の古川禎久さん。審議の「主戦場」になるとみられた衆院災害対策特別委員会(災害特)の筆頭理事で、私は別の取材で2人をよく知っていた。

 その夜、国会に近い東京・赤坂の飲食店に集まった。それぞれ知らない間柄ではない。率直なやりとりになった。

 熱血漢の古川さんが「災害特は与野党対決ではなく、立法府が行政府に見解を質し、ものを言っていく場にしたい。党議拘束を外そう」と持論を語れば、与野党協力を進めたい中根さんも「(与党が)4Kをまとめて撤回すれば野党も何も言えないでしょ」とにこやかに尋ねる。


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