1年目はすぐに1軍だったのですが、その後に2軍へ。転機となったのは、ジュニアオールスターの試合でした。若手有望株が集まるのがジュニアオールスターですが、東映のドラフト1位の投手が突然試合に出られなくなり、チャンスが回ってきた。そこで3回を投げて5奪三振。敢闘賞をもらって、後半戦から1軍に上がりました。

 野球に限らず、人生では誰にでもチャンスが回ってくる。問題は、そのチャンスをものにできるか。プロ野球の試合中に、選手がケガをするとみんな集まってきて心配そうな顔をしているでしょう。でも、そこで本気で心配している人なんていませんよ。「よし、これで自分にチャンスが回ってくる」と思ってるものなんです。それがプロ。逆に、それを感じない選手はプロとして大成しません。

 私は、1軍に上がった以上は、二度と2軍には戻らないと決めていた。1年目は勝ち星はゼロでしたが、26回登板して0勝4敗でした。まずはプロで1勝。それが1年目のシーズンを終えた時の私の目標になった。そんな時に、予想外の出来事がおきました。南海にトレードになったのです。

 当時の南海は、野村克也さんが選手兼監督。「野村さんが江本の素質を見抜き、南海に引き抜いた」と言われていますが、私はそんな話ではないのではと思ってます。東映としては、ドラフト外の私だったら1年目でもトレードに出しやすかったというのが本当のところでしょう。

 野村さんには「野村再生工場」など数多くの伝説がありますが、なかには、野村さんが上手くストーリーを作って出来上がったという選手の伝説もけっこう多いんです。

■2年目の江本さんに火を付けた野村監督の一言

 でも、ある意味でそれが野村さんのすごいところ。周りの人に「野村は何を考えているかわからない」と思わせる。人を観察して、その気にさせるのもうまい。

  私が南海に入団した時、野村さんはリンカーンに乗っていた。グラウンドに乗りつけたクルマから降りて開口一番、こう言ったんです。

「オレみたいないい車に乗りたいか? だったら頑張れや」

 私が野村さんに最初に挨拶に行った時のことも忘れられません。一通り挨拶をすませると、野村さんがこう言いました。

「お前のボールをワシが受けたら、10勝できる。今からエース番号付けとけよ」

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シンキングベースボールを教えてくれたブレイザー