がんの治療を乗り越え、仕事に復帰した江本孟紀さん。4月には自伝『野球バカは死なず』(文春新書)を発表した(撮影/西岡千史)
がんの治療を乗り越え、仕事に復帰した江本孟紀さん。4月には自伝『野球バカは死なず』(文春新書)を発表した(撮影/西岡千史)
1992年の参院選で初当選した江本孟紀さん(左)とアントニオ猪木さん (c)朝日新聞社
1992年の参院選で初当選した江本孟紀さん(左)とアントニオ猪木さん (c)朝日新聞社

 昨年5月、スキルス胃がんであることがわかった「エモやん」こと江本孟紀さん(70)。スキルス胃がんは早期発見が難しく、進行が早いのが特徴だ。ただ、幸いにも転移はなく、今では野球解説者の仕事にも復帰。辛口批評の「エモやん節」も全開だ。

【写真】参院選で初当選し、アントニオ猪木さんと一緒に喜ぶ江本さん

 江本さんは南海ホークスや阪神タイガースで活躍。現役引退のきっかけとなった「ベンチがアホやから野球がでけへん」発言は、今でも球界の語り草だ。引退後は、『プロ野球を10倍楽しく見る方法』が300万部を超えるベストセラーに。野球解説者として活動し、そして参議院議員も務めた。

 華々しい人生を歩んできたように思えるが、野球選手としては若い頃はチャンスにめぐまれず、挫折を繰り返した。高知商業高校時代には、甲子園で優勝候補だったが、部員が暴力事件をおこして野球部が解散に追い込まれ、甲子園の土を踏むことはできなかった。大学時代はケガや監督との対立もあり、活躍の場は限られていた。

 不遇な時代が長かった江本さんが、どのようにしてチャンスをつかみ、プロ野球選手として、そして社会人として大成していったのか。江本さん自身が語ったシリーズ「エモヤンのわが野球人生」を全5回でお送りする。

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■子供の頃に政治に目覚める デモ隊に水をかけたことも

 今年で私も71歳。昨年は胃がんを患って、一方で旭日中綬章を受章するなんてこともありました。いろんな意味で、自分の人生を振り返るにはちょうどいい1年でしたね。こんな時だからこそ、自分自身のことも語ってみるのもいいかもしれません。

 1947年7月に高知県土佐山田町(現・香美市)に生まれました。18歳で東京に出てきて50年以上経ちましたが、故郷高知のことはなにかと気なります。

 性格は一言でいうと「いごっそう」。土佐弁で「頑固者」という意味です。みんなに嫌がられる性格ですね(笑)。

 父親は警察官で、真面目一本。口数も少なかった。僕が子供のころ、高知は日教組の活動が全国一激しい地域でいた。家族は高知署のとなりにあるオンボロ官舎に住んでいたのですが、知っている先生たちのデモ隊が、警察官に向かって「税金ドロボー」とか「権力のイヌ」と言ってシュプレヒコールを浴びせている。

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甲子園を辞退せざるをえなかった理由