すでにリード・トラックの「ドント・メイク・ミー・ウェイト」を耳にしている方も多いと思うが、精力的、意欲的に『ニューヨーク9番街57丁目』ツアーに取り組みながら、並行してスティングは、新しいパートナーと、まったく方向性の異なるアルバムを完成させていたのだ。

 それにしても、である。この15年あまりを振り返ってみると、2003年にすべて自作曲で固めた『セイクレッド・ラヴ』を発表したあとスティングは、16世紀から17世紀にかけて現代のシンガー・ソングライターに近いスタイルの活動をつづけたジョン・ダウランドの作品をリュートの伴奏で歌った『ソングズ・フロム・ラビリンス』、ザ・ポリスのリユニオン・ツアー、冬をテーマにしたトラディショナルやフォーク・ソングに取り組んだ『ウィンターズ・ナイト』、オーケストラとの共演で自身の名曲群を再訪した『シンフォニシティーズ』、故郷の造船所を舞台にした物語性豊かな『ザ・ラスト・シップ』、そして『ニューヨーク9番街57丁目』と、立ち止まることなく、それぞれに趣の異なる作品に取り組んできた。なんとも意欲的で、呆れてしまうほどだが、そのパワーの源をスティングは「世界に対する旺盛な好奇心」と語る。もちろん、彼が心に描く「よりよい世界」に向けて、ということだろう。その強い想いが、多くの人がやや意外な印象を持ったに違いない、シャギーとの創作活動へと彼を向かわせたのだ。

 伏線はあった。『ニューヨーク9番街57丁目』制作の少し前からスティングのマネージャーを務めているマーティン・キーゼンバウムは、ソングライターやプロデューサーとしてレディ・ガガなど多くのアーティストに貢献してきた人なのだが、彼はまた、一時期、シャギーの活動をA&Rマンとして支えてもいた。A&Rはアーティスツ&レパートリーの略で、その仕事は、レーベル側の立場でアーティストの創作活動を全面的に支えていくこと。つまり、クリエイターとして才能もマインドもあり、ビジネス面での経験も豊富な彼が、いわば共通項として二人のあいだに存在していたわけだ。

次のページ