結局、夫は多香子さんの言うこと一つ一つに論破することで、精神的に支配しているわけです。雇用契約や請負契約のように明確な支配関係やDVで支配するのはわかりやすいですが、こういう支配の仕方もあるということです。
(ちなみに、多香子さんの夫のように、即座に反論が出てくる人は、自分が必ず反論すること、そしてそのことで相手を支配していることに気づいていないことがほとんどで、そのことを指摘すると、「いや、そんなことはない、云々……」という反論が即座に返ってきます。)
こうした、「支配‐被支配」の関係は、価値観と好みの問題なので、二人がそれでよければいいのですが、少なくともどちらかの方がそれで苦しくなるのであれば、妥当ではないと言えます。そして、多くの場合、いつかは被支配側が苦しくなります。
安倍首相の失敗は、「多数決」も「取引」も「支配」もできなかった、ということでしょう。夫人もまたパワーのある方のようなので、当たり前の帰結ですが。
では、どう考えたらよいのか、ですが、結局のところ、康則さんも多香子さんの夫も突き詰めると話はシンプルで「自分の思い通りにしたい」というのが透けて見えます。トランプ大統領はそれがわかりやすいですし、安倍首相もそういう傾向が強いと思います。
それは、人間にとって自然な欲求かもしれませんが、現実問題としては、相手が「あなたの思い通りになりたい」というニーズを持っていない限りトラブルは必至です。しかし、そんなニーズを持っている人はまあいないだろうと思います。社会的には支配と交渉で乗り切れるかもしれませんが、夫婦はなかなかそうはいきません。
相手は自分の思い通りにならない、それでも人として尊重して仲良くやっていこう、ということこそが、民主主義のもう一つの根幹である、人権の基本のような気がします。人権問題は足元の夫婦の関係にもあるわけです。しかし、スローガンを語るはやさしく、実行するは難しいことだと、日々思います。(文/西澤寿樹)