中日ではともに背番号「99」となった中村(左)と松坂(右) (c)朝日新聞社
中日ではともに背番号「99」となった中村(左)と松坂(右) (c)朝日新聞社
松坂と同じ背番号「99」で、中日でプレーした中村紀洋氏(場所=西宮市内で中村氏が始動する野球塾「N’s method」にて)(写真提供・喜瀬雅則)
松坂と同じ背番号「99」で、中日でプレーした中村紀洋氏(場所=西宮市内で中村氏が始動する野球塾「N’s method」にて)(写真提供・喜瀬雅則)

 いきなりですが、以下の3つのヒントから、連想される人物を、挙げてみて下さい。

【写真】現在の中村紀洋氏

 1.中日ドラゴンズ
 2.背番号「99」
 3.松坂大輔を「本気」にさせた男

 野球ファンなら、すぐにピンとくるかもしれませんね。

 答えは「中村紀洋」―。

 近鉄の「いてまえ打線」の主砲として、輝かしい一時代を築いたスラッガーだ。メジャーのドジャースでもプレー、日本に復帰してオリックスへ入団したが、そのオフ、球団との契約更改交渉が難航した末に、1年で退団。一時的に浪人生活を送り、2007年2月、育成選手として中日に入団した。

 開幕前に支配下登録されると、現在の松坂大輔と同じ背番号「99」を背負い、その年の日本シリーズでは、シリーズMVPを獲得、中日の53年ぶりの日本一にも貢献している。

 その後、FA楽天へ移籍、さらにDeNAでもプレーしているが、中村にとっては、中日での2年間は「一番下から、日本シリーズMVPやからね」。通算2000安打も達成した大選手のキャリアの中でも、またひと味違った、輝かしく、そして、誇らしい日々でもある。

 だからこそ、背番号「99」への愛着も半端ではない。

「逆に、永久欠番とちゃうの? ドラゴンズの歴史上、53年ぶりの日本一で、MVPを獲った選手の番号やで」

 そう笑いながら、中日の背番号「99」への思い入れを語った中村は、44歳になっても、そのたくましい上半身に、緩みも、たるみも見当たらない。兵庫・西宮市内で、自らの打撃技術を教える野球塾「N’s method」を開設したのは2015年5月。小・中学生を中心に、バッティングの基本や体の使い方を教えながら、昨年5月には、静岡・浜松開誠館高で、野球部の非常勤コーチにも就任している。

 教えるという魅力に、完全にとりつかれた中村も、野球から離れられない。いまだに「現役引退」を表明していないのは「引退したからといって、何が残るん? 改まって引退しますっていうのは、もうええかと」

 野球が好きだ。だからこそ、こだわり続けたい。

 その思いが強いからこそ、今の松坂にも、中村は共感できる部分が多いのだという。

「このまま終わるわけにはいかん。彼も、そう思うんやろしね。体がボロボロにならんときに、いい形で終わってほしい。最後は、いい形で締めくくってほしい」

次のページ
特別な思いあった松坂との対決