4対4の同点で迎えた延長12回裏、阪神は1死一、三塁のチャンスで、8回に起死回生の同点ソロを放った4番・新庄剛志が打席に入った。巨人ベンチは敬遠による満塁策を指示し、捕手・光山英和が立ち上がった。

 だが、槙原寛己の1球目は敬遠球にしては中途半端な低さ。「これはイケるかもしれない」と考えた新庄は、一塁ベンチの柏原コーチに「(打てる球が来たら)打ってもいいですか?」と目で合図した。

 現役時代に敬遠球をホームランした同コーチはもちろん「よし、行け!」とゴーサインを出した。しかも、2人は前々日の練習日を利用して、高めの敬遠球を打つ特訓をしたばかりだった。

 槙原の2球目は高さ、コースともに中途半端な甘い外角球。新庄が全身をしなやかに伸ばし、大根斬りのようにしてバットを振ると、打球は前進守備のショート・二岡智宏の左に転がり、左前に抜けていった。まさに“新庄マジック”とも言うべき敬遠球サヨナラ打だった。

「ショートが二塁ベース寄りに守っていたので、三遊間に転がせばヒットになると思った。(敬遠と思って)遊撃手の気も抜けていただろうし」としてやったりの表情の新庄だったが、「でも、もうできませんよね。これは(通用するのは)1回だけ」といたずらっぽく笑った。

 これに対し、巨人側は「新庄が打った瞬間、左足が打席から出ていた。(反則で)アウトではないか?」と抗議したが、「片足のすべてが出ていたわけではない」と却下された。

 そもそも最初からバットの届かないコースに外して投げていれば、こんなことにはならなかったのだから、これは文句なしに柏原&新庄の師弟コンビに軍配を上げたい!

 今度は敬遠する側の投手が主役になった話である。

 1980年の木田勇(日本ハム)以来19年ぶりのルーキー20勝に王手をかけた巨人・上原浩治は1999年10月5日のヤクルト戦(神宮)で6回まで2安打無失点の好投。

 しかし、5対0とリードした7回1死、チームメートの松井秀喜と本塁打王を争うペタジーニが打席に立つと、ベンチは敬遠を指示した。6回にペタジーニを1本差の41本で追う松井がこの日2つめの四球で歩かされたことに対する意趣返しだった。

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ベンチの指示を拒否するわけには…