2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。王監督が率いる日本代表に、イチローとともに、川崎も選出された。鹿児島工時代からイチローのビデオを「すり切れるまで見た」といい、当時、右足をぶらぶらと左右に振るようにしてタイミングを取る、イチロー独特の「振り子打法」も、そっくり真似たという。

 鹿児島で開催されたオリックス戦では、ライトの外野席に座って、イチローをひたすら見続けたともいう、生粋のイチローマニアは、イチローの“同僚”となると、思いはさらにエスカレート。「僕はイチローさんのストーカー」とまで公言し、グラウンドの内外で、イチローの影のようにして、行動をともにするようになった。

 2011年オフ、FA権を取得すると、川崎はメジャー挑戦を宣言。しかも「マリナーズへ行きたい」と希望球団まで挙げた。普通なら、複数球団に競り合わせることで、より好条件の球団を選ぶ。それがFAのメリットでもあり、プロ野球選手としてのプライドだ。しかし、川崎がメジャーでのプレーを決断したのは、イチローのいるところで、野球をしたいという、ピュアな思いからだった。その“純粋さ”は今回の決断にも、存分に反映されている。

 球団を通してのメッセージを、もう一度読んでみた。この部分に、川崎の“真意”が詰まっているような気がする。
 
「今は環境を変えて、じっくりと心と体の回復につとめます」

 もう一回、野球、やりたくなりました―。

 またひょっこり、野球をしようと、立ち上がるような気がして、ならないのだ。

 そう言って、川崎がグラウンドに戻ってきたとしても、誰も「嘘つき」だとか「豹変」だとか、咎めないだろう。

 だって、それが、川崎宗則らしさだから―。

 なので、私もあえて、この文中で、ある単語を使っていません。それが何かは、あえて書きません。お察し下さい……というよりは、なぜか、そのうち、何でもない顔をして、「I will be back」とか言いながら、ムネリンが帰ってくるような気がしてならないのだ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。