この試合はテレビ朝日が中継していたが、よりによって、9回の伊東の打席途中で放映終了。直後、逆転サヨナラ満塁弾の速報がテロップで流れたことから、怒った視聴者から抗議の電話が相次いだという。

 ちなみに伊東以来史上2人目の開幕戦サヨナラ満塁弾を記録したのが中日・アレックス。2005年4月1日の横浜戦(ナゴヤドーム)で、0対0の9回無死満塁、三浦からファウル9本と粘った末、フルカウントからの13球目を左中間席に叩き込んだ。“逆転”の2文字こそないが、これもまたファンを熱狂させた劇的な幕切れだった。

 “ゲン担ぎの開幕投手”が話題になったのが、2001年3月24日のオリックスvsダイエー(福岡ドーム)。ダイエーの開幕投手・西村龍次は、前年は開幕戦1試合に先発し、4回を投げた後、右ひじを故障してシーズンを棒に振っていた。だが、ヤクルト時代の1992、93年、ダイエー移籍後の99、00年と過去4度開幕投手を務めた年にいずれもチームは優勝と、“V確率100パーセント”だった。

 前年は0勝。丸1年のブランクがあるうえに、オープン戦でも登板2試合で7失点と結果を出していなかったが、王貞治監督は「開幕は特別なものだから、平常心では戦えないし、経験を考えた」と“持っている男”西村の右腕にチームの命運を託した。

 西村は序盤に3点を失ったものの、3回以降立ち直り、6回途中まで3失点と試合を作った。だが、打線の援護なく、ダイエーは黒星スタート。同年は2位でV逸。“神通力”を失った西村も同年限りでユニホームを脱いだ。

 アナウンスされた開幕投手の名前に誰もがあっと驚いたのが2004年4月2日の広島vs中日(ナゴヤドーム)。中日の開幕投手は野口茂樹と予想されたが、就任1年目の落合博満監督が指名したのは、右肩の故障で3年間1軍登板のない川崎憲次郎だった。

「川崎の先発は1月3日に決めた。チームを生まれ変わらせるために、3年間最も苦しんだ男の背中を見せなければならないんだ」(落合監督)

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川崎のために怒濤の反撃!