もちろん即日入院になったのだけれど、死の恐怖とか生への執着はあまり感じなかった。それより、僕が一心に考えていたのは、どうやって看護師さんの目を盗んで病院を抜け出し、新幹線に乗って東京に帰るか、ということ(笑)。死ぬなら生まれ育った東京で死にたい、東京に帰りたい、と。その時、人間というのは、いかに生まれた土地と切り離せない存在かということを思い知った。

 肝炎自体は、一時は交換輸血の話も出たほど難しい状態でしたが、結局は劇症化せずに治まり、今はすっかり治って検診で引っ掛かることもないし、酒も飲めます。

 学生の頃から、山に出掛ける時は部屋を片付けて行く。それほど真剣に考えているわけじゃないけど、もしも何かあった時、あまりみっともなくないように。死に対する準備というか、それなりの心構えですね。

 今、仕事の秘書さんには、もし僕が何かで死んだら、荒井保明という人間がこの世に存在した形跡を残さず、すべて消して燃やしてくれといつも頼んでいます。人間なんて、死んで数年程度は覚えていてくれる人がいるかもしれないけど、所詮そんなものです。きれいさっぱり、跡形もないほうがいい。

 今もこの歳で冬山にも登ってますよ。ハァハァ言いながら1人でね。だから、山で死ぬ可能性はなくはない。ただ、それでは周りに迷惑が掛かる。でもヒマラヤとかなら、あの辺は紫外線が強いし乾燥してるから、ひっそりと死んでいるとそのうち粉々になって、風に乗ってインドあたりの大陸にぱらぱらと落ちる。そういうのがいいよな、と思ってますね。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から