三回、再び源田に左翼線二塁打、秋山に四球、エルネスト・メヒアの緩い投ゴロを処理しながら、二塁へ野選となり無死満塁。ここで浅村に対し、カウント1―2の5球目から、外角へ小さく曲がる139キロのカットボール。ボール気味の球で二ゴロ併殺に仕留め、ここも1失点で踏みとどまった。

 ただその後、山川穂高、外崎修汰に連続死球。「ボールが手につかなくて、ふわふわした感じでした。ブルペンからよくボールが暴れていましたけど、試合に入ってもそのまんまという感じでしたね」。3回を投げ、被安打3も、5四死球が絡んでの2失点に「収穫があるとすれば、球数(76球)を投げたことくらいですかね」。いつになく冴えない表情というより、自らへのふがいなさを、自らに怒っていた。

 それでも、三回の浅村を併殺に、一回も浅村にタイムリーを許した後の山川を、128キロのスタイダーで空振り三振に仕留めるなど、要所ではさすがの投球術を見せた。

「ランナーを出しながら、何とか押さえていくことを考えています。粘りながら、最小失点で抑えていけることですね」

 松井との対決は、二回2死一塁で再び訪れた。初球、137キロのストレートはボール。2球目の141キロを引っ張った当たりは、高い放物線を描いたが、またもやライト平田のグラブに収まった。結果は出なかった松井だが、松坂との対決を終え、どこか、満足感と充実感に満ちていた。

「抑えられて何ですけど、元気な姿を見られました。結果は当然、1本でもヒットが出ていればベストだったんですけど、この対決を楽しみにしていましたし、そのことが、一番の収穫です」

 まるで松井の後を追うように、松坂は歩んできた。西武からメジャーへ、そして再び日本へ。今、中日で復活に挑む後輩と、古巣で最後のひと花を咲かせようとしている松井。その歩みは、どこかしら似通ったものがある。

「いい刺激をもらいました。グラウンドで再び会えるように、僕も頑張りたいですね」

 6月の交流戦なのか、はたまた、日本シリーズなのか。いずれの時期でも、対戦できるとなれば、2人はともに、チームで不可欠の戦力になっているという証明でもある。

 だからこそ、もう一回、対戦しよう―。

 松坂の次回登板が見込まれているのは、3月25日のロッテ戦(ナゴヤドーム)。これをクリアすれば、4月3日からの本拠地開幕3連戦、巨人戦での登板も見えてくる。

 開幕ローテーション入りを目指す思いを改めて問われた時、松坂の口調が強くなった。

「普通のことじゃないですか、それって」

 先輩・松井との対決で、心も、ぐっと揺さぶられた。その刺激が、また新たなるモチベーションになる。松坂大輔は今、順調に、復活への道を歩んでいる。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。