村田修一(c)朝日新聞社
村田修一(c)朝日新聞社

 昨季限りで巨人を自由契約となっていた村田修一が、独立リーグであるBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスに入団することが発表された。過去2度の本塁打王の実績を持ち、昨季も14本塁打を放った実力者が目指すのはNPBへの復帰だ。今後の動向が注目されるが、過去には村田と同じく、もしくはそれ以上に苦労してNPBに復帰した選手たちがいる。そんな“いばらの道”を切り拓いた事例を振り返ろう。

■山田秋親(ダイエー・ソフトバンク→独立リーグ→ロッテ

 立命館大時代にシドニー五輪にも出場した右腕。00年秋のドラフトでアマ球界No.1投手として逆指名でダイエーに入団したが、プロ入り後は思うような結果を残せず、さらに度重なる故障もあって08年オフに戦力外となった。だが、現役続行を希望して右肩の手術を敢行すると、09年3月から四国・九州アイランドリーグの福岡レッドワーブラーズの練習に参加。9月に正式入団し、同年11月の合同トライアウトでも“回復”をアピールすると、ロッテが獲得に動き、元NPB選手が独立リーグを経てNPBに復帰した第1号選手になった。ロッテでは「秋親」の登録名で3年間在籍し、10年には5月に2073日ぶりのNPB勝利を挙げるなど、中継ぎで計28試合に登板した。

■正田樹(阪神→台湾→米マイナー→独立リーグ→ヤクルト

 甲子園優勝投手として99年秋のドラフト1位で日本ハムに入団し、02年には9勝を挙げて新人王に輝いた大型左腕。阪神で2年間プレーした後の08年オフに戦力外になると、翌09年と10年は台湾プロ野球の興農でプレーして最多勝&最多奪三振王のタイトルを獲得するなど活躍。MLBのトライアウトに参加して11年2月にはレッドソックスとマイナー契約を結ぶも3月に解雇され、4月にはBCリーグの新潟アルビレックスへ入団。そこで地区優勝に貢献する働きを見せると、同年オフにヤクルトが獲得に動いて4年ぶりにNPB復帰が決まった。ヤクルトでは2年間で計39試合に登板。リリーフとして存在感を見せた。その後、再び台湾リーグを経て、現在は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属している。

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中村紀洋もNPBに這い上がった一人