【使節団より前に海を渡った日本人たち】


江戸時代末期の黒船来航をきっかけに欧米列強と国交が結ばれると、江戸幕府や諸藩は留学生をオランダやイギリス、フランスなどに派遣した。彼らも欧米の進んだ文明にふれ、驚き、感心し、多くを学んだ。

(1)福沢諭吉
1860(安政7)年、アメリカへ。62(文久2)年、ヨーロッパへ。そこで見てきたものをまとめた『西洋事情』はベストセラーに!

(2)長州藩の5人
1863(文久3)年、伊藤博文(写真右端)など長州藩の仲間5人が幕府の許可なくイギリスへ。圧倒的に進んだ文明を前に、「開国」して国を豊かにするべきだと考えるようになった

【旅を終えて】
<木戸孝允>
今の日本は国際的に残念な状況です。しかし、自分たち自身で努力を重ね、しかるべき地位へ進みたい

<大久保利通>
経済の自立こそ近代国家の基礎である。国内産業の育成に力を注ぎたい

<伊藤博文>
君主(当時のドイツでは皇帝)が中心になり政治を行うドイツの憲法を手本にした憲法をつくりたい

*外国人が日本国内で罪を犯しても、日本の法律では裁けない領事裁判権を認めさせられたことや、輸入品にかける税率を自分の国で決められる関税自主権がないなど、日本にとって不利な「日米修好通商条約」(1858<安政5>年)をアメリカと結び、その後、同様の条約をオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも結んだ。

*参考文献 『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』(慶應義塾大学出版会)、『木戸孝允日記』(東京大学出版会)

※月刊ジュニアエラ 2018年2月号より

ジュニアエラ 2018年 02 月号 [雑誌]

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AERA dot.編集部
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