例えば、ヤンキーがタバコを吸い始めるときって、タバコの味じゃなくて、憧れの先輩の姿がかっこよくて、真似をするわけじゃないですか。こういうふうに、改革を起こすのであれば、正しいことをするのではなく、改革を起こす人が顔を出してカリスマにならなければ人は動かないですよ。

 わかりやすい例で言うと、昨年、本当にやめたほうがいいと思ったことがありました。

 文藝春秋と新潮社のトップが、「図書館で文庫、新刊を貸し出すな」と言っていたんですが、そのダサさ、ほんとやばいと思ったんです。

 だから、『そうじゃないよ、図書館に本を置いてもらったほうがいいんだよ』とブログで説明したら、新潮社が、新潮社のイエスマンだけを集めて、自社の雑誌・週刊新潮で、西野がいかに間違ったことをいっているかという記事を書いたんです。

 そのときはもう世論は『文藝春秋社・新潮社は何を言っているんだ』という空気で、僕は『新潮社がこんなこと言ってますよ』ってブログにそのままあげたら、ブーメランのように新潮社に返っていきました。

 つまり、「皆さん、本を読んでくださいと言う人は、こんなにかっこいい人なんだ」とならなければいけないのに、全く逆で「本を読んだら、こんなダサいやつになるんだ」となってしまった。これでは、本離れは加速してしまいますよね。

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